03 仏教的な心のあり方(1)ブッダは一人の人間だった

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シリーズの前回はブッダの生涯について学びましたが、今回の記事からは「仏教的な心のあり方」の章に入ります。

この章は、ブッダと他の宗教の開祖との違い、仏教と他の宗教との違いがわかるように書かれ、さらにブッダの考え、仏教を生き方のベースにしようという者としてのあり方の根本を明らかにしてくれています。

では、一緒に学んでいきましょう。

ブッダ「目覚めた人」は一人の人間であった

ブッダを、一般的な意味での「宗教の開祖」と呼ぶことができるとすれば

ラフーラ師はさりげなくこのように書いて、続けて次のように書いています。

彼は「自分は単なる人間以上の者である」と主張しなかった唯一の開祖である。

他の開祖たちは、神あるいはその化身、さもければ神から啓示を受けた存在である〔か、そうであると主張している〕。

ブッダは、一人の人間であったばかりでなく、神あるいは人間以外の力からの啓示を受けたとは主張しなかった。

お釈迦様、ブッダは、いわゆる宗教の開祖の中で、唯一、神がかりでない開祖、生涯ただ人間であると通したということです。これは大きな仏教の特色です。

そして

彼は、自らが理解し、到達し、達成したものはすべて、人間の努力と知性によるものであると主張した。

ブッダが生涯を通じて、自分自身、そして弟子たち、関わる人たちにも説いていたのは、努力と知性によるようにということではないでしょうか。

他力本願の信心も、他力を信心する努力と知性は必要ではないでしょうか。

ブッダの教えは知性的です。そして、ただの理屈屋になるのではなく、体験して知ることをひじょうに重視していたことも忘れてはならないように思います。

外国人僧侶に学んだこと

多くの外国人が仏教を学びたいと来日して仏教の僧なっています。私の知人の臨済宗の僧侶にもドイツ人が二人います。その二人が、なぜ仏教なのか話をしてくれて感心したことがあります。

ドイツでは中学、高校で普通に、それぞれの宗教、その違いについて授業で学ぶそうです。日本は歴史の時間に何々宗は誰それがいつ始めたという程度でしょうか。

そして授業で、ラーフラ師が書いているように仏教、ブッダのことを知るそうで、それで二人は仏教を学びたいと思うようになり日本に来られて僧にもなられたそうです。

特にドイツは第二次世界大戦のナチスドイツ、ホロコーストのことから、生きること、自分のアイデンティを持つことが困難な精神状態になる人もいて、開祖や神を信じる宗教ではたちゆかない、自らを確立する仏教が助けになるというように説明してくださいました。

二人とも日本語ができない状態で来日されて厳しい禅の僧堂修行をされましたが、外国人のほうが日本人より真摯に仏道を究めようとなさる傾向があると感じるのは私だけでしょうか。

日本人僧の場合、家を継ぐため(本来、寺は個人の家系の家ではないはずですが)、修行僧堂は法要の多い寺の僧堂がよいと選んだりする人もいたりしますが、彼らには毛頭そういうことがない。ひたすら仏道の探求と実践で、頭が下がります。

続きを読んでいきましょう。

人間は誰でも、決意と努力次第でブッダになる可能性を秘めている。ブッダとは「卓越した人間」と呼ぶことができる。

私、この一文を読んだとき「悉有仏性(しつうぶっしょう)」のことが思い浮かびました。

いわゆる日本の仏教のような大乗仏教では「悉有仏性」、生きとし生けるものすべてに仏性があると考えます。

悉有仏性は如来蔵思想、すべての衆生は如来を胎児として蔵(やど)している

2、3世紀ころにインドで成立した大乗の一つの思想からで、涅槃経で如来蔵を仏性と表現して「一切衆生、悉有仏性」と経文にあり‥と何かで読んだことがあります。そしてこれは仏教にあらずという主張もあると。

私は、衆生は皆ことごとく、「如来」、報身、永遠なる宇宙の理法そのものとして現れた仏の姿を宿していると考えれば、「生きている=宇宙の自然の理によって生きている」ので、それはそうだと納得しています。

また、道元禅師は「悉有仏性」を、皆、仏性の中で生きていると解釈もしたと言いますが、なるほどそうだと私は思います。

自らが自らのよりどころ

人間は自らの主であり、それより高い位置から人間の運命を審判できる〔神のような〕存在や力はない。

「自らが自らのよりどころであって、自分以外の誰をよりどころとすることができようか?」とブッダは述べた。

この部分はブッダの教え、仏教の重要な特色です。

ブッダの教え、仏教では、人を裁き罰を与えるような神仏はいません。自分を裁くのは、自分に罰を与えることになるのは自分自身の心・行為です。

彼は、人間は自らの努力と知性によってあらゆる束縛から自らを自由にすることができるのだから、誰であれ自分を啓発し、自分を解放するようにと教え、励まし、刺激した。

束縛を物理的な束縛と読むと、これは無理だと思うかもしれませんが、どのような状況においても、自分の心・思考を束縛されないように、人間は自分でできます。

自分の心・思考を束縛してしまうのは自分自身であって、他の誰でもない、どんな環境、境遇でもない。 自分の心・思考の束縛を解くと、物理的な束縛が解けるようになることもあります。

そして、誰でも自分を束縛から解放することはできる、そうするようにと教え、励まし、刺激してくれたお釈迦様、ブッダです。

その教え、実践法がずっと伝えられ続けて、今も、私たちは知ることができる、なんと有難いことでしょう。

ブッダは言った。「あなたたちは、自ら歩まなくてはならない。タターガタ(真理に到達した者)はその道を示すにすぎない」

もしブッダが「救済者」と呼ばれるとすれば、それはブッダが解脱すなわちニルヴァーナ(涅槃)に至る道を発見し、提示したという意味においてでしかない。

道は私たち一人ひとりが自ら歩まねばならないのである。

道は「八正道」という8つ実践徳目のものです。

八正道を誰かに代わって歩いてもらえるものではなく、誰かに背負ってもらって歩むことはできません。自ら歩む以外にない。

では、また次回。

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