04 仏教的な心のあり方(2)自由、自己責任、寛容

今回の記事は「仏教的な心のあり方」の2です。

「自由、自己責任、寛容」のタイトルでは、どういうことなのかわからないと思いますが、前回の終わりに次のようにブッダは説いたと学びました。

ブッダは言った。「あなたたちは、自ら歩まなくてはならない。タターガタ(真理に到達した者)はその道を示すにすぎない」

もしブッダが「救済者」と呼ばれるとすれば、それはブッダが解脱すなわちニルヴァーナ(涅槃)に至る道を発見し、提示したという意味においてでしかない。

道は私たち一人ひとりが自ら歩まねばならないのである。

そして、私たち一人ひとりが自ら歩む道は「八正道」という8つの徳目で示されていて

その上でブッダは次のようでした。

ブッダが弟子たちに自由を認めたのは、この自己責任性の原則に基づいてであった。

ブッダは『マハーパリニッパーナ・スッタ〔大般涅槃経〕』のなかで、自らがサンガを統率したり、サンガが彼を頼るといったことは考えたこともない、と述べている。

ブッダ、仏教の自己責任性の原則とは、 自己責任と言っても、今の日本に渦巻いている生活弱者に向けられるような自己責任論ではありません。

自分の八正道を実践することは自分でしかできない、自分に責任がある、八正道を実践するか・しないか、どのように実践するかはそれぞれの自由裁量、責任だということです。

前回学んだように

人間は誰でも、決意と努力次第でブッダになる可能性を秘めている。

ブッダ、仏教は、すべての人の可能性を信じています。

ですから、ブッダは弟子たちに、サンガという修行の場でも、共同の修行の場の修行者として守るべきルールはありましたが、自由を認め、弟子を統率するようなこともしなかったのです。

私は、禅の僧堂修行生活の後、ブッダの教えをできるだけそのままに守ってきたという上座部仏教・テーラワーダ仏教のミャンマーで瞑想修行をしてきましたが、日本での修行と大きく異なるところがありました。

それは、日本の仏教、禅寺、禅僧堂は、日常のことにも一つ一つ細かく作法、決まり、時間割があって、それを集団的に守ることを徹底しますが、それに比べるとすごくアバウト。

瞑想する時間帯、食事の時間帯、掃除の時間帯等、決まってはいますが、それぞれの時間帯の中で各自の裁量でした。

もちろんどちらが優れているという話ではありません。

ブッダはまた、彼の教えに秘儀はなく、握ったこぶしの中にかくされたものは何もない、すなわち隠したことは何もない、と言っている。

仏教に秘儀はなし。

ブッダは、説法はいつも誰にでもわかりやすくお話になり、実践のしかたもわかりやすく説明なさっていました。

漢文で漢字がずらっと並んでいて読解が必要なお経のようではなく、誰にでもわかる言葉、わかる話で説いていました。

そして、さらにさらに

思想の自由と寛容

お釈迦様、ブッダ、仏教のあり方は、次のように人の思想の自由を認め、他の思想・宗教にも寛容です。他の宗教を排他するようなこともありません。

ブッダが認めた思想の自由は、他の宗教では例のない寛容さであるが、この自由こそ必要不可欠なものである。

なぜならブッダは、自己解放は

人が自ら真理を実現することによって得られるものであり

神あるいは外的な力から従順な善い行ないに対する報いとして与えられるものでない、と考えていたからである。

自分はこう考える、こういうことを信じていると主張することはあっても、異なる他者のあり方を否定することはなく、従わせようとすることもなく。それぞれの人が自ら真理を実現する可能性を持っていると信じていて、寛容でいる。

ブッダが許した思想の自由と寛容は、宗教史上驚くべきことである。

ニガンタ・ナータブッダはブッダと同時代の人であったが、カルマに関してブッダとは意見を異にしていた。あるとき彼は、弟子の一人で裕福な在家信者であったウパーリをブッダのもとにつかわし、論戦を挑ませた。

ところがまったく予想を反して、論戦の末にウパーリはブッダの意見が正しく、自分の師の説が間違っていることを確信した。そこで彼は、ブッダに弟子入りを願い出た。

ウパーリが再度弟子入りを乞うと、ブッダは彼に、今まで師事した先生たちを従来通り尊敬し支持するようにとうながした。

仏教の僧、仏教を信じている人が、仏教が最高で他はだめだ排他的な言動をなさるのを見聞きすることがありますが、お釈迦様、ブッダの場合はこうでした。

お釈迦様、ブッダのこういうあり方に、人間への絶大な信頼、愛があると感じるのは私だけでしょうか。

では、また次回

無料中にご利用ください

マインドフルネス無料講座

マインドフルネスの本当の効果を得るために欠かせないこと、瞑想のやり方がわかります。注意もわかります。

マインドフルネスをはじめる人にも、している人にもとても喜ばれています。