3分で般若心経の「空」がわかってワクワクする

日本の仏教では「般若心経」がとてもメジャーです。

多くの人が般若心経をよみ、写し、意味を知ろうとなさり、般若心経に書いてある「空」こそ仏教の教えと思っていたりもします。

ところで、そうしながら「空」の解釈を戸惑っている人がおられるように思います。また、思索的になってしまっている人もおられるのではないでしょうか。

そもそも「空」とは

実は「空」はお釈迦様、ブッダも話していましたが、それほどでもなく

「空」がクローズアップされるようになった経緯

空は、2世紀に生まれたインドの仏教僧の初期大乗仏教の龍樹(りゅうじゅ)が

同時、小乗仏教と言われた上座仏教から分派した部派仏教のなかの最大勢力だった説一切有部を「空」の立場から批判したことからクローズアップされるようになりました。

説一切有部は、ブッダの教えから逸脱したものとして、龍樹からだけなくて、部派仏教内でも批判されていました。なぜか。

「主観的な我は空だけれども、客体的な事物の類型は空ではなく過去・現在・未来にわたって実在する」としていたからです。

私は、僭越ながら、説一切有部は実践以上に論理組み立てをとことんしていたとのことで、理屈での教義構築をして間違えたのではないだろうかと思います。

それを龍樹が、般若経では『何ものにもとらわれない「空」の立場に立ち、またその境地に至るための菩提の行・六波羅蜜の実践を説いている』ということからも固定的実体はなく空である(無自性)という立場で論破した。

「固定的実体はなく無自性」というのは、つまり空とは諸法無我のことです。すべては因縁生起ということです。

「空」は知っているが諸法無我は知らない日本人?

「空」より「諸法無我」は4文字で長いので、262文字の般若心経には短い単語のほうかいいしリズムもいいから、などということはないでしょうが、般若心経は諸法無我ではなくて「空」となっている。

そのせいか日本人の多くは「空」は知っているが「空」ほどに諸法無我を知る人はいない。

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静が仏教の根本的な3つの教理「三法印」なわけですが、諸行無常は平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」のおかげか言葉としては知っている人は多い。

でも、あとの2つはあまり知られていない。「涅槃」は仏教の目的のようであるからと知っている人はいるけれど、「諸法無我」になると知る人は少ない…

ちなみに仏教の三相は、すべての存在・ものごとは因縁生起で、諸行無常(アニッチャ)、諸法無我(アナッタ)、一切皆苦(または一切行苦、ドゥッカ)であるという仏教の根本思想になります。

「空」とは「無自性」つまり「諸法無我」「因縁生起」

たとえば、言葉では説明しきれるものではないですが、簡単に言うと、ミャンマーでヴィパッサナーの歩く瞑想をしている際中、足がなく前に進むような状態になりました。

私の心の足を動かす意図が現れ体が動くことが生起しているだけがある研ぎ澄まされた状態です。週3回のサヤドー(長老)でそうなった状態を報告すると「あなたは無我の境地にいたね」とおっしゃいました。

足は物質で色、心は物資ではない名、瞬間瞬間の名によって、色に瞬間瞬間、動く現象が現れる。そしてその名も色も瞬間瞬間のものでしかない。

瞑想は諸行無常、諸法無我、因縁生起を、知識だけでなく、こうして瞑想による体験と洞察智で会得していくわけですが、私はこうして得心しました。

ちなみに、よく「自我をなくして無我になる」と言われることがありますが、無我はなるものではなくてもともと無我、諸法無我だと気がつきます。

この言葉の「自我」はエゴイズムという意味合いでしょうか。

「空」は「諸法無我」のことと理解するとわかりやすい

そして、気になるのは 仏教の教えは「空」と思い「空の意味がわからない」と考えるようになっていたり、難しいことにしている人が多いのではないということ。

せっかく仏教に親しむ縁ができて、ここで足踏みしているともったいないかと老婆心で思う私です。

たとえば「空」をゼロや無だと理解しようとしていると、色即是空は「色=物質的なものはすべてゼロである、無である」になって難問になりませんでしょうか。

私たちは、物質的なものは、いわゆる一般的なゼロでも無でもなく存在していると認知しますから。

これを瞬間瞬間の五蘊によって、因縁生起で、今この瞬間瞬間に存在しているととらえると、諸法無常、諸法無我、因縁生起的な理解になりやすくなります。無自性「空」の理解になります。

般若心経の冒頭「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見、五蘊皆空。度一切苦厄」。

般若心経

ブッダが一切行苦を説いたときに「五蘊は苦である」と説いたので、冒頭で五蘊は皆空と照見したことで、一切の苦を悟りきったとなっているのだと思いますが

観自在菩薩は深く般若波羅蜜多を修行したとき

五蘊= 色受想行識 、「色」物質的存在、「受」感覚、「想」識別、「行」意志、「識」意識は、皆、空=諸法無我=固定的な実体性はないとありありと見識を持ち、一切の苦しみを越え…

こうするとわかりやすくなりませんか。

般若心経にたくさん出でくる「無」も諸法無我、無自性の無と考えてみてたらどうでしょう。

固定的な実体は無いから、実体としての増えたり減ったり、汚れたり清くなったりなどはあらず、存在があるわけでもない…、一切は今ここの因縁で生じている、とらわれることはない…

さらに言うと、その生じているというとは心による認知・認識であって、その心も固定的な実体のあるものではない…、とらわれることはない

私たちは自分で苦悩をつくり出している

すべて変化するもの、諸行無常のもの、諸法無我、無自性、空で固定的で実体性のある「私」はいません、「彼」も「彼女」もあの人もこの人もいません。「あれ」も「これ」も「それ」もありません。

それなのに私たちは固定的な実体のもの・ことと思って、顛倒して、自分や他者のことをああだこうだと考えこんだり、責めたり、様々なこと・ものに過剰に執着つづけたり…

そうして苦悩を心でつくり出している…

その心も移ろい変わる無自性、空

まとめ

ということで、「空」は無自性、諸法無我のこと、因縁生起のことで

般若心経の肝は、すべては無自性、空、無我で因縁で生じていること、それも固定的・実体性のない無自性、空、無我の心が因縁で生起して認知・認識していること

さぁ、何ものにも、もうとらわれることはない! すべての苦悩は取り除かれ、もう苦しむことはない!!!

般若心経は、苦悩すること、とらわれから自由になるワクワクのお経ではないでしょうか。

次に般若心経を唱えるときから、ワクワクしながら読んでみてはいかかでしょう。(^^)

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