私自身、日々、反省することですが、仏教では「不放逸(ふほういつ)」が大事と言われます。
不放逸とは
お釈迦様は、弟子たちに次のように遺言されて入滅なされました。亡くなりました。
(パーリ仏典, 長部大般涅槃経)
比丘というのは修行僧のことです。そしてこの「怠ることなく」が不放逸です。放逸は怠け(なまけ)、怠惰です。
また、法句経『ダンマパダ』には次の文があります。
禅と不放逸
禅宗では作業などの始まりや終わりの時を、木の板「木版」(もっぱん/もくはん)を木槌でたたいて音で知らせますが、次のように書かれている木版があります。

愛知学院大学 禅研究所
読み方は
私の体験、反省
私が修行させていただいた僧堂では、夜にする坐禅、夜坐の終わりに、順番の担当の者が、この木版を叩き、この文を大きな声で唱えることになっていました。
僧堂生活をはじめて、私にも順番が回ってきました。私は日中に時間があるとき練習をして「もうできる」と思い、その時に臨みました。
しかし、大、大失敗。日中と違って夜坐の時、木版のある場所は薄暗く木版に書かれている文字がほとんど見えない。しっかり文を覚えていなかった私はしどろもどろになり、声は小さく、禅堂の中、単に坐している人たちに届かない…大、大失敗
禅師様を先頭に禅堂から出てきた副住職、先輩の雲水たち、同期の雲水たち。禅師様は怪訝な顔で私を見られ、皆さんは無言で私の顔を見て、そして歩いていかれました。

板橋興宗禅師様
禅師様というのは、全国800万人の信徒、1万4千ちかい寺院のある曹洞宗の元管長、トップであられた板橋興宗禅師です。私は禅師様に得度していただき僧になり禅師様の元で修行しました。
そして次の日になると、練習して良しと言われた者でなければ、そのことはしてはならないとのお達しがありました。
いいかげんな準備で、いいかげんなことをした私は「不放逸」そのものでした。
慚愧の念に押しつぶされそうにもなりながら、その日から私はわずかにできた時間でもあれば、ひたすら木版を叩き、その文を唱え、練習を重ねました。
文は独特の抑揚、音階などをつけて読まなければならないのですが、音痴な私はそれがなかなかできない。そんな私を繰り返し繰り返し先輩雲水が細かく細かく指導してくださいました。
その先輩は今は音楽を使って仏教を広めておられる人で、音楽のプロなので、私の抑揚や音階などの間違いを的確にご指導くださいました。
そうして数カ月後、また夜坐で、木版を叩き、この文を唱える順番のときがやってきました。してもよいとお許しをいただきました。
木版を叩く、ひとたたき、ひとたたきに集中し、文の一言一言に集中して、腹の底から文を唱えました。
禅堂から皆さんが出てきました。
銭湯の禅師様が私の前で立ち止まり、嬉しそうな微笑みを浮かべておられて、一言「ん、大きな声がでるねぇ」と言って歩いて行かれました。禅師様の微笑みは例えようのない宝石のような微笑みです。
他の方々も微笑みを浮かべて私を見てくださり、そして歩いて行かれました。
お釈迦様の遺言
2020年7月5日、板橋禅師様が遷化なさいました。亡くなりました。
禅師様に初めてお会いしたときのことからの禅師様が次々に思い出され涙があふれてきます。
禅師様、ありがとうございました。
信人は、禅師様にいただいた教えを大切に生きてまいります。ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。