ブッダの教えと実践は科学的。でも「言葉」で説明は…

ある人に「無我の境地とは『ただ在る』という状態」と申し上げたところ

「ただ在る」は主語がない、また言葉でどういうことか説明しないのは、検証できないのは科学的でないから認めないというような反応をいただきました。

さて、ブッダの教えと実践は科学的です。

しかし、その科学的ということと「言葉」で説明できることということは同じはありません。

言葉とは「あれ」と「これ」をわけるもの、分別の道具ですが、

ブッダの科学的なメソッドによって体験することになる境地、検証される境地は、例えば「あれ」と「これ」を分けなくなる境地、有見身がなくなる境地です。

ですから、科学的なメソッドによる結果の科学的なことですが、それは「あれ」と「これ」をわける「言葉」で説明できることを超えています。

生きとし生けるものが苦悩し続けることから解放され、安楽で幸福でありますように