普勧坐禅儀(道元禅師)の全文の原文/訓読読み

秦慧玉著『普勧坐禅儀講話』(曹洞宗宗務庁発行)より、段ごとに原文の漢文と訓読読みを転載して紹介させていただきます。

普勧坐禅儀講話

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普勧坐禅儀 原文と訓読読み

上段が原文、下段が訓読読みとして紹介します。

<第1段>

原夫、道本円通、争仮修証、宗乗自在、何費功夫

原(たず)ぬるに、夫(そ)れ道本円通(どうもとえんづう)、争(いか)でか修証(しゅしょう)を仮(か)らん。宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん。

<第2段>

況乎、全体逈出塵埃兮、誰信払拭之手段。大都不離当処兮、豈用修行之脚頭、者乎

況(いわ)んや全体逈(はる)かに塵埃(じんない)を出づ、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。大都(だいと)当処(とうじょ)を離れず、豈(あ)に修行の脚頭を用ふる者ならんや。

<第3段>

然而、毫釐有差、天地懸隔、違順纔起、紛然失心

然(しか)れども、毫釐(ごうり)も差(しゃ)有れば、天地懸(はるか)に隔り、違順(いじゅん)纔(わず)かに起れば、紛然として心(しん)を失す。

<第4段>

直饒、誇会豐悟兮、獲瞥地之智通、得道明心兮、挙衝天之志気、雖逍遙於入頭之辺量、幾虧闕於出身之活路

直饒(たとい)、会(え)に誇り、悟(ご)に豊かに、瞥地(べつち)の智通(ちつう)を獲(え)、道(どう)を得、心(しん)を(の)明らめて、衝天の志気(しいき)を挙(こ)し、入頭(にっとう)の辺量に逍遥すと雖も、幾(ほと)んど出身の活路を虧闕(きけつ)す。

<第5段>

矧彼、祇薗之為生知兮、端坐六年之蹤跡可見、少林之伝心印兮、面壁九歳之声名尚聞

矧(いわ)んや彼(か)の祇薗(ぎおん)の生知(しょうち)たる、端坐六年の蹤跡(しょうせき)見つべし。少林の心印を伝(つた)ふる、面壁九歳(めんぺきくさい)の声名(しょうみょう)、尚ほ聞こゆ。

<第6段>

古聖既然、今人盍辦、所以、須休尋言逐語之解行、須学囘光返照之退歩

古聖(こしょう)、既に然り。今人(こんじん)盍(なん)ぞ辦ぜざる。所以(ゆえ)に須(すべか)らく言(こと)を尋ね語を逐ふの解行(げぎょう)を休すべし。須らく囘光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし。

<第7段>

自然身心脱落、本來面目現前、欲得恁麼事、急務恁麼事

身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目(めんもく)現前(げんぜん)せん。恁麼(いんも)の事(じ)を得んと欲せば、急に恁麼の事(じ)を務(つと)めよ。

<第8段>

夫參禅者、靜室宜焉、飲食節矣、放捨諸縁、休息万事、不思善悪、莫管是非、停心意識之運転、止念想觀之測量、莫図作仏、豈拘坐臥、乎

夫れ参禅は静室(じょうしつ)宜しく、飲食(おんじき)節あり、諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪(ぜんなく)を思はず、是非を管すること莫(なか)れ。 心意識の運転を停(や)め、念想観の測量(しきりょう)を止(や)めて、作仏を(と)図ること莫(なか)れ。豈に坐臥に拘(かか)はらんや。

<第9段>

尋常坐処、厚敷坐物、上用蒲団。或結跏趺坐、或半跏趺坐。謂、結跏趺坐、先以右足安左腿上、左足安右上。半跏趺坐、但以左足圧右腿矣。寛繋衣帯、可令斉整

尋常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ。 或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の(もも)の上に安じ、左の足を右の(もも)の上に安ず。半跏趺坐は、但(ただ)左の足を以て右の(もも)を圧(お)すなり。 寛(ゆる)く衣帯(えたい)を繋(か)けて、斉整(せいせい)ならしむべし。

次、右手安左足上、左掌安右掌上。兩大拇指、面相拄矣。乃正身端坐、不得左側右傾、前躬後仰。要令、耳与肩対、鼻与臍対。舌掛上腭、脣歯相著。目須常開。鼻息微通。身相既調、欠氣一息、左右揺振、兀兀坐定

次に、右の手を左の足の上に安(あん)じ、左の掌(たなごころ)を右の掌の上に安ず。兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。 乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しんし)相(あい)著け、目は須らく常に開くべし。 鼻息(びそく)、微かに通じ、身相(しんそう)既に調へて、欠気一息(かんきいっそく)し、左右搖振(ようしん)して、兀兀(ごつごつ)として坐定(ざじょう)せよ。

思量箇不思量底、不思量底如何思量、非思量、此乃坐禅之要術也

箇(こ)の不思量底を思量せよ、不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量せん、非思量、此れ乃ち坐禅の要術なり。

<第10段>

所謂、坐禅非習禅也、唯是安楽之法門也、究尽菩提之修証也。公案現成、羅籠未到。若得此意、如龍得水、似虎靠山。当知、正法自現前、昏散先撲落

所謂(いわゆる)坐禅は、習禅には非ず。唯、是れ安楽の法門なり。菩提を究尽(ぐうじん)するの修証(しゅしょう)なり。 公案現成(こうあんげんじょう)、羅籠(らろう)未だ到らず。 若(も)し此の意を得ば、龍の水を得るが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり。當(まさ)に知るべし、正法(しょうぼう)自(おのずか)ら現前し、昏散(こんさん)先づ撲落(ぼくらく)することを。

<第11段>

若從坐起、徐徐動身、安祥而起、不応卒暴

若し坐より起(た)たば、徐々として身を動かし、安祥(あんしょう)として起つべし。卒暴(そつぼう)なるべからず。

<第12段>

嘗觀、超凡越聖、坐脱立亡、一任此力矣。況復、拈指竿針鎚之転機、拳払拳棒喝之証契、未是思量分別之所能解、豈為神通修証之所能知。可為声色之外威儀、那非知見前軌則、者歟

嘗て観る、超凡越聖(ちょうぼんおつしょう)、坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)も、此の力に一任することを。 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず、豈に神通修証(じんずうしゅしょう)の能く知る所とせんや。 声色(しょうしき)の外(ほか)の威儀たるべし。那(なん)ぞ知見の前(さき)の軌則(きそく)に非ざる者ならんや。

<第13段>

然則、不論上智下愚、莫簡利人鈍者、專一功夫、正是辦道、修証自不染汙、趣向更是平常、者也

(しか)れば則ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡(えら)ぶこと莫(な)かれ。専一(せんいつ)に功夫(くふう)せば、正に是れ辦道なり。修証(しゅしょう)は自(おの)づから染汙(せんな)せず、趣向更に是れ平常(びょうじょう)なる者なり。

<第14段>

凡夫、自界他方、西天東地、等持仏印、一擅宗風。唯務打坐、被礙兀地。雖謂万別千差、祗管參禅辦道。何抛卻自家之坐牀、謾去來他国之塵境。若錯一歩、当面蹉過

凡(およ)そ夫れ、自界他方、西天東地(さいてんとうち)、等しく仏印(ぶつちん)を持(じ)し、一(もっぱ)ら宗風(しゅうふう)を擅(ほしいまま)にす。 唯、打坐(たざ)を務めて、兀地(ごっち)に礙(さ)へらる。万別千差(ばんべつせんしゃ)と謂ふと雖も、祗管(しかん)に参禅辦道すべし。 何ぞ自家(じけ)の坐牀(ざしょう)を抛卻(ほうきゃく)して、謾(みだ)りに他国の塵境に去来せん。若し一歩を錯(あやま)らば、当面に蹉過(しゃか)す。

<第15段>

既得人身之機要、莫虚度光陰。保任仏道之要機、誰浪楽石火。加以、形質如草露、運命似電光。倐忽便空、須臾即失。

既に人身(にんしん)の機要を得たり、虚しく光陰を度(わた)ること莫(な)かれ。仏道の要機を保任(ほにん)す、誰(たれ)か浪(みだ)り石火を楽しまん。加以(しかのみならず)、形質(ぎょうしつ)は草露の如く、運命は電光に似たり。倐忽(しくこつ)として便(すなわ)ち空(くう)じ、須臾(しゅゆ)に即ち失(しっ)す。

<第16段>

冀其、參学高流、久習摸象、勿怪眞龍。精進直指端的之道、尊貴絶学無為之人、合沓仏仏之菩提、嫡嗣祖祖之三昧。久爲恁麼、須是恁麼。宝蔵自開、受用如意。

冀(こいねが)はくは其れ参学の高流(こうる)、久しく摸象(もぞう)に習つて、真龍を怪しむこと勿(なか)れ。 直指(じきし)端的の道(どう)に精進し、絶学無為の人を尊貴し、仏々(ぶつぶつ)の菩提に合沓(がっとう)し、祖々の三昧(ざんまい)を嫡嗣(てきし)せよ。 久しく恁麼(いんも)なることを為さば、須(すべか)らく是れ恁麼なるべし。宝蔵自(おのずか)ら開けて、受用(じゅよう)如意(にょい)ならん。

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