慈悲の瞑想の本来と違うやり方と【危険性・リスク】
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3万円近い慈悲の瞑想のオンラインセミナーというのがネットにあって、内容を見て「え!?」と思いました。後でお話しするまったく別のものだったからです。
あるマインドフルネスのオンライン実践会に参加したときに慈悲の瞑想としてされたものも、本来とは違う別のものでした。
本来の慈悲の瞑想からするともったいないですが、そういうものを慈悲の瞑想だと思い込んでするのも個人の自由です。気になるのはそういうもののやり方にはリスクや危険性があるということです。
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瞑想指導者でカウンセラーの森信人です。
禅僧として僧堂修行をおくって、ミャンマーでマインドフルネス瞑想の原点の瞑想を修行して、それから近年の心理系のマインドフルネス瞑想なども学び瞑想の指導をしています。
僧侶になる前は、メンタルヘルスなどの研修を企業や官公庁でもしていました。
慈悲の瞑想の本来ではないもののリスク・危険性
慈悲の瞑想と言われて本来のやり方でないものには、次のリスク、危険性があります。
私の講座の受講者の中にも、受講前にはそういうものをしていて、このリスクにはまっていた人がおられます。
マイナス感情がわき上がり、引きずることに
本来の慈悲の瞑想ではなものは、瞑想中に意図的に意識を向ける対象の人物を具体的に思い浮かべて、意図的にその人物に対しての意識を持つようにします。
その人物は自分がマイナスの感情を持っている相手の場合もあります。ものによっては自分に害を加えた人にまで慈悲の心を向け許すことなどもします。
そうすることは大きく感情が動きます。怒りや悲しみや憎しみなどのマイナス感情が大きくわき上がってくる場合もあります。
瞑想を終えてもその感情を引きずり苦しむことが続くようになるリスクがあります。
催眠状態になる
直接や録音された他の人の声に誘導されて取組むことが多く、そのために催眠状態になることがあります。もともと催眠的な言葉がけのしかたをして受講者に取組ませている人も少なくありません。
メンタルヘルスやストレスマネジメントなどの研修をしている人が教えている場合にそうしていることが多いですが、私が参加した実践会でされたのもそうでした。
それらの研修や心理療法に携わっている場合、自律訓練法という催眠療法があり私も教えていたことがありますが、そういうやり方をしているケースがあります。
催眠状態になるならそれは瞑想ではありません。そして催眠状態になるものは、専門家がそばにいないですると催眠状態から抜けられないことがあり危険です。
催眠で瞑想の効果ではなくなっている
そして効果が瞑想によるより、イメージ療法、催眠療法になっている場合があります。
催眠のような言葉がけによって催眠状態になり、終わると、受講者は言葉通りに、優しい気持ちになれた等とコメントします。
イメージ療法とは次のようなものです。
イメージ療法とは
クライエントがもつ内的イメージを膨らませ活用する療法です。クライエントが活性化されたイメージを十分に体験することで気づきを得たり、精神的な解放感を体験するといった効果が得られます。(心理学用語の学習サイトより引用)
慈悲の瞑想に限らずマインドフルネス瞑想がこのようなやり方でされていることがけっこうありますが、これでは瞑想ではありません。以前からあった催眠療法、イメージ療法に「マインドフルネス」とつけたようなものと言えるでしょう。
慈悲の瞑想、マインドフルネス瞑想には、慈悲の瞑想、マインドフルネスの瞑想ならではやり方があり、そのやり方による貴重な効果があります。
マインドコントロール
この危険性はとても怖いものです。こんなことあるはずがないと思っていると危険です。
かつて「マインドコントロール」という言葉が世の中に広く知られた時代がありましたが、今はそれほど知られなくなっています。
マインドコントロールとは
操作者からの影響や強制を気づかれないうちに、他者の精神過程や行動を操作して、操作者の都合に合わせた特定の意思決定・行動へと誘導すること・技術・概念である(ウィキペディアより引用)
他の人の言葉に誘導されてする瞑想の場合、誘導する人(操作者)や団体がが何らかの意図をもってマインドコントロールのように活用することもできなくはありません。
ヨガや瞑想の会などは、以前から新興宗教の団体などの勧誘に使われてきています。それ以外でも気をつけたほうが良いことです。
リスクや危険性のあるやり方とは
上記でお話したことでおわかりだと思いますが、リスクや危険を生み出しているやり方のポイントは次の2点です。
- 瞑想中に具体的対象を思い浮かべて、その対象への意識を意図的に変えることをする
- 他者の言葉による誘導瞑想で、催眠状態になる可能性がある
慈悲の瞑想でも、マインドフルネス瞑想でも取組みに、本来、この2点は必要ではないことです。弊害にもなることです。
そして、このようにされているものは、代表的なものに次のパターンがあります。危険性の少ない方から紹介します。
思いやりの心を育むプラクティス系
思いやりの心を育むプラクティスは市販の本『グーグルのマインドフルネス革命』に載っています。
これをそのままか、いくらか変えて、慈悲の瞑想だと言って教えられていることあります。このページで冒頭にお話ししたネットで3万円近くになっていたオンラインセミナーはこれがそのままでした。
なお、私は思いやりの心を育むプラクティスを否定しているわけではけしてありません。慈悲の瞑想ではないですが、これはこれで意図された目的の効果があるものです。
以下、本から転載して紹介します。
まず、今日あなたが出会った人の中で、楽しい会話をしたお気に入りの人を、心の中で思い浮かべましょう。もし、今日楽しい会話をした人がいなければ、昨日、一昨日とさかのぼっていただいて構いません。
心の中に、その人を思い浮かべたら、心の中で、次の言葉を言ってみましょう。
- この人は、心と身体を持っています。わたしと同じです。
- この人には、気持ちや感情、考えがあります。わたしと同じです。
- この人は、悲しんだり、がったりしたり、怒ったり、混乱したりすることがあります。わたしと同じです。
- この人は、人生において肉体的、心理的な苦しみを経験しています。わたしと同じです。
- この人は、人生において喜び、幸せ、愛を経験しています。わたしと同じです。
- この人は、幸せになりたいと思っています。わたしと同じです。
- この人が幸せでありますように。
では、そっと目を開けてください。これで終了です。
心理的なリスクなど
心理的なリスクは次に紹介する方法よりかは小さいですが、上記のようなリスクはあります。中には「楽しい会話をした人を思い浮かべる」という時点で、そういう人がいないとつまってしまう人もいます。
また、人は自分は同じと考え共感する形になっていますが、慈悲は自分と他者を同じと考えるものではなく、自分とは違う考え方・価値観・感じ方・あり方の人にも等しく向けられるものです。
このエクササイズの場合はさらに「自分が楽しい会話をした人」と限定していて、一時的・限定的な心理的癒しには効果があると思いますが、慈悲は他者がどうであろうとも持てる意識であり、それが本質的な生き方を変えることになります。
そして、アメリカは一般的に個人主義の傾向が強いので他者への共感力を強めることが効果的ですが、日本は他者に協調、共感すべきという傾向があり、それで苦悩している人も少なくありませんし
他者を自分と同じと考える思考は、自分の価値観や感じ方、考えで、他者を判断するようになるというリスクもあります。
本来の慈悲の瞑想のほうがやり方・取組み方はシンプルで、リスクもなく、慈悲の意識が養成されて本質的な変化・効果を望めると思います。
お金のリスク
また、これくらいだけで高額な料金のセミナーなどがある状況になっているので、それには気をつけたほうが良いのではないかと思います。
慈悲の瞑想も他の瞑想にも取組んでするもので、マインドフルネス瞑想も坐る・歩く・食べる・日常の瞑想があり、さらにそのそれぞれには基礎的なものから上級的なものまであり、それらを段階て・総合的に学んで取組むことで本当の効果は得られます。
ですから、ごく一部のことで高いお金を使っていたら無駄になります。瞑想の習得は段階的に総合的に学べるプログラムになっていて格安の講座、セミナーを選ぶと良いです。
愛と慈しみの瞑想系
こちらは、取組み方に留意しないと、リスク・危険性が高くなります。
近年のマインドフルネス瞑想の発端は、アメリカのマサチューセッツ工科大学のジョン・カバットジン教授が、禅の坐禅と本来のマインドフルネス瞑想のヴィパッサナー瞑想を応用してつくったマインドフルネスストレス低減法です。
教授の著書『マインドフルネスストレス低減法』に「愛と慈しみの瞑想」という瞑想が掲載されています。これを模ほうしたようなものが慈悲の瞑想と言われて教えられ、されていることがあります。
愛と慈しみの瞑想自体の出だしは次になります。(本から転載します)
心が落ちついたら、意識的に自分自身に対する愛や慈しみの感情を呼び起こします。
心の中で自分自身にこんなふうに言い聞かせてください。
「怒りや憎しみの感情から自由になれますように、そして、私に対する同情や慈しみの気持ちでいっぱいになりますように」
愛と慈しみの瞑想は、このように、自分に言い聞かせて意図的に意識づけをしたり、意識を変えることをしていきます。
そして、次のような部分もあります。
今度は、特に関係がうまくいっていない人、 たとえば憎しみを感じているような人を思い浮かべて、その人に対して、意識的に慈しみ、寛大さ、同情の気持ちを向け、嫌いだという感情や怒りをとき放つようにします。
そして、その人を、感情をもち、痛みや不安や悩みをかかえる一個の存在として、愛や慈しみを受けるに値する人間として見るようにします。
もし、その人があなたを傷つけた人間だったとしたら、心の中で意図的にその人を許し、怒りや憎しみの感情をとき放ち、自分だけが正しいというような感情をとき放ってください。
憎しみを感じているような人を思い浮かべて…、これはできるでしょうか。
これは瞑想というよりも療法的なものになっていると感じます。
意識を様々に変化させて、それも心理的ハードルの高いことで進めていくので、誰かの誘導なしにすることは困難ですし、大きく感情が動き、リスクや危険性は低くはありません。しっかりとサポート者がいないと危険でもあります。
そして、これを模ほうして慈悲の瞑想と言われているものも同様にリスクや危険性がありますが、安易に行われているように感じます。
愛と慈しみの瞑想の全体のやり方は次の記事で紹介してあります。
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本来の慈悲の瞑想は安全
本来の慈悲の瞑想のやり方はこういうリスクや危険性のあるやり方ではありません。安全なものです。他の瞑想の取組みの安全性を高める効果もあります。
本場では古来、本来のマインドフルネス瞑想のヴィパッサナー瞑想とともに取組むことを勧められますが、それはヴィパッサナー瞑想をスムーズに効果的にしてくれる、安全に取組めるようにしてくれるからです。
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まとめ
この記事は、思いやりを育むエクサイズや愛と慈しみの瞑想自体はもちろん、それらを模ほうした瞑想をすることが悪いという記事ではありません。
違うものが慈悲の瞑想として教えられている場合があるということと、それにはリスクや危険性もあるという話です。
慈悲の瞑想は素晴らしい瞑想ですから、ぜひ、取組んでほしいです。私の場合は、次の理由でやはり本来の慈悲の瞑想に取組むことをお勧めします。
- シンプルで、いつでも何もなくても自分で取組めて
- 危険性もなく安心
- 効果は確かで、本来のものだから
ありがとうございます。
生きとし生けるものが幸せでありますように
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