私がヴィパッサナー瞑想をミャンマーで修行して得た変化や効果について

言葉で表現することは難しいことですが、参考にお話しさせていただきます。

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私は、坐禅を禅僧として修行し、それから本来のマインドフルネスの瞑想の気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想のボディスキャン型のゴエンカ式というものと、本来の集中の瞑想のサマタ瞑想を日本で習得して取組むようになりました。

そして、ヴィパッサナー瞑想をそれ以上に本格的で総合的なものをマスターしたいという気持ちになって、本場のミャンマーに行って修行しました。

なお、このページは、私が修行して得た効果という話ですが、本来のマインドフルネスの効果は修行しないと得られないわけではありませんので、そう思いながら読んでください。

たとえば、瑞雲の講座は、修行という形をとらなくても、ストレス社会の日本で暮らしてきた人が、一般の生活をしながら効果を得られるように考えてプログラムされています。

ミャンマーで

ミャンマーで修行したのは、マハーシ式というヴィパッサナー瞑想の瞑想法です。

マハーシ式は一般人も実践して高い効果を得られるだけでなく、僧が修行法としても実践する総合的な本来のマインドフルネスのヴィパッサナー瞑想の瞑想法です。

マハーシ・サヤドーは1904年生まれのミャンマーのテーラワーダ仏教の大長老でした。

mahasi-sayadaw
マハーシ・サヤドー

マハーシ・サヤドーは、高度な仏法教育を修し、高名な長老についてヴィパッサナー瞑想を修行しました。

そして、ヴィパッサナー瞑想の根本経典『マハーサティパッターナスートラ:大念処経』から瞑想法を見い出しました。それでマハーシ式と言います。

テーラワーダ仏教内だけでなく世界的に普及しているヴィパッサナー瞑想の瞑想法です。

マインドフルネス=正念、ヴィパッサナー瞑想を世界的に広めたドイツ人僧のニャナポニカ・テラ師もマハーシ・サヤドーに学びました。

ニャナポニカ・テラ
ニャナポニカ・テラ(ウィキペディアから)

マハーシ式には、坐る瞑想、歩く瞑想、日常の動作の気づきがあります。

瞑想修行では、朝、目が覚めたときから、夜、眠りにつくときまで、坐る瞑想、歩く瞑想以外の時間も、1日中、自分の心と体に気づき続けます。

私の体験、得られた変化・効果

ミャンマーの修行での私の上達・変化・効果の現れは、すでに長い期間、取組んでいる人たちがそうなれずにいる中で、早く、希少なものでもありました。

それは、私がそれまでに基礎的な瞑想に取り組んでいて、基礎的な瞑想の力が高くなっていたからです。

禅僧になる前から、そして禅僧になって坐禅で瞑想をし続けて高い集中力を身につけていましたし、その上で集中の瞑想のサマタ瞑想にも取組んでいたことがプラスになりました。

さて、瞑想に取組んでいくと人それぞれ様々な状態が現れてきますが、私の場合は修行をはしめて7日目、左の首から肩、腕に激痛が現れるようになりました。

以前、事故にあってムチウチをして治療はしましたが、冬になると出ていた痛みで、それが初夏でしたが現れたのでした。

言葉だとたいした痛みではないようですが、ナイフで骨からえぐられ続けるような痛み、激痛で、日本でそれが現れたときは傷みの感覚を緩和する注射をしてもらっていました。

マインドフルネス瞑想はメリットばかり宣伝されている傾向があります。でも効果を得られていく過程では、潜在していた心身の不調面が表面化する時期がある場合もあります。

ですから、それなりの人にいつでもサポートをしてもらえる状態で習得していくことが大事です。

私の場合は、世話係の僧の人がいてくださいましたし、サヤドー(長老)と週に3回の面談もありました。ですから安心でしたし、適切に習得を進めることができました。

本来のマインドフルネスの瞑想は気づきの瞑想では、自分の心身の現象に気づき続けます。私はその日から毎日、激痛の現われの瞬間瞬間にひたすら気づくことに取組みました。

修行では痛みは気づきの対象としてわかりやすいため修行の友とも言われますが、すると気づきの習性と力はどんどん高くなり、気づける間隔はどんどん短い瞬間瞬間となりました。

痛みと認識している現象は持続しているのではなく、瞬間瞬間に現われ消え、また現われ消えとなっていることや、痛みの部位のわずかな移動や変化もわかるようになってきました。

さらにその現象が自分の体の中ではなく、まるで外にあるように観ているようになってきました。自分に起きている現象をもう一人の自分が観ている、そのようになってきました。

苦しみもありのまま観るマインドフルネス

そして3週目のある日、激痛の現象を痛み・苦しい・辛いと感じたり思うのではない状態、ただ現象として気づいているようになりました。同じ激痛の現象が痛くはないのです。不思議でした。

私は激痛となるような体験を激痛と反応・評価・判断するのではなく、現象として気づき観ているようになりました。苦しみを、ただありのまま観ているようになりました。

本当のマインドフルネスは「苦しみを観る人」になると言いますが、苦しみに苦しむのではなく「観る人」になる。激痛も症状・現象が生じていると「ありのまま観ている」ようになります。

意識的に心をコントロールして怒ったり、苦しんだりすることから離れるのではなくて、ただ「観る人」でいられるようになっている。

怒りや苦しみが生じてきても、それに反応して怒ったり苦しんだりするようにはならず、生じたとだけ観ている人になります。

そうして、ネガティブな思考や感情、苦しみから解放された人になります。

私もそうなりはじめたのでした。

それ以降、自分の体に現れる微細な感覚の現われにもすぐ気づくようになり、観ているようになってきました。また、自分の心の現象に対しても同様になるようになってきました。

癒しの力のマインドフルネス

「気づく」ことによって激痛、痛みの症状が消える体験をするようになりました。

たとえば瞑想中に現れる瞑想による足の痛みなどは、現れた瞬間にその現われにさっと気づくと、瞬間に消えるようにもなりました。

また、瞑想中に次々に過去のネガティブな出来事が思い出されたり、そのことを元にした強いネガティブな感情や妄想が次々に現れてくる時期がきましたが、その現われもただ気づくことで消えていく、記憶の元まで癒される体験をするようになりました。

過去の記憶が浄化されていく、過去の記憶からネガティブな思考・感情が現れるようになっていた回路が浄化されていく、そういう変化の体験をするようになりました。

すべてを瞬間瞬間のこととして、プロセスとして

歩く瞑想中に「それは無我の境地にいた」とサヤドーに報告すると言われる状態になりました。無我は一般に言われる自我がなくなってなるというものでなく、そもそも無我でした。

そもそも無我であると、体験を通してはっきりと知りました。

「あなたはロケットが地球を何周かして宇宙に飛び出すように進歩するだろう」と言われました。気づきはさらに短い瞬間瞬間となり、気づきの力はさらに高くなりました。

ある日、降る雨や地面を跳ね返る雨粒が瞬間瞬間、止まって観えました。

まだ足元の見えないほどの朝の暗いうちに食堂に向かって歩いていると、視線を向けている地面に何かが動いているのを認知している自分に気づきました。真っ暗闇の中をカタツムリが数匹歩いていました。

どう表現したらよいか難しいですが、自分の瞬間瞬間を瞬間に認知している自分に気づく感じです。

ある雨の日、瞑想所から食堂にむかって歩いていたとき、音を認知したと気がつきました。

顔を上げると、50メートル以上も離れている食堂の屋根にあるスピーカーが雨の中で振動しているのが観え、その振動が空気を伝わってきて、私の耳がそれに触れ、音として認知しているという認識でのとらえ方が一瞬のうちに私の中に現れました。

このような体験もあり、見える、聞こえる、感じるを現象のプロセスとしてとらえているようになるようになってきました。

そして、感覚器官の眼耳鼻舌意が何かの対象に触れても快・不快の判断・評価をほぼしなくなるようになり、しても、そうしている自分にすぐに気づくようになり、さらに自分がその判断・評価となったとプロセスで自然に知るようにもなりました。

自分にどんな思考・感情・感覚が現れてもそのまま気づき、無自覚にそれを進めることなく、その結果、苦悩にとらわれることもなくなりました。さらに、それが現れたプロセス、自分の中にある原因に自然に気づくようになってきました。

もう一人の自分が自分の心、体の現象にいつも気づいている、そして、いつも心は波立つことなく平安でみずみずしくいられる、そういう感じです。

ヴィパッサナーの智慧の会得

こうして自分の心身の現象の現れを瞬間瞬間に気づき、サヤドーに「無我の境地にいた」と言われる状態などを体験したり、自分の心身の現象のあり方の体験を続けていくと、ある日、後から名前を知りましたがヴィパッサナー智というものが現れるようになりました。

知識の理解からの考えや知恵ではなく、考察して得るものではなく、ひらめきのように直観的に現われる智慧、ヴィパッサナーによる智慧を様々得ることになりました。

得た智慧は、得た瞬間から、私のゆるぎないあり方・生き方になりました。

根本的・本質的な変化

帰国して以降も、人として根本・本質なところから変われたので、時と場合に関わらず、そのまま、以上のお話したあり方・生き方が続き、いっそう発展的に定着してきています。

ネガティブな思考・感情が現れることはたまにありますが、それも瞬間現れるだけです。現れれたらさっとそれに気づき、持続することはありません。

それどころか以前はネガティブな思考・感情になったようなことに、自然に慈悲、慈愛の心が湧いてくるようになりました。

マインドフルネスでは怒りの感情になってもコントロールできると言われていますが、私は以前は怒りっぽいところがあったのですが、怒りの感情になること自体がまったくなくなりました。

自分の心や体を癒しながら、自分を自覚的にいつもコントロールできて、ポジティブな方向に進むことも可能になり、そうして、毎日を大安心で、イキイキと、豊かに幸福に生きています。

カウンセラーやコーチングコーチになり、禅僧になり、苦悩から解放された生き方をできるようになりたい、心がいつも安定していイキイキと豊かに幸せになれる人になりたいとしてきましたが

それらではかなわなかったレベルのことが、本来のマインドフルネス瞑想によって、私に起きました。

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