瑞雲信人プロフィール

日本は、思うように生きられないと悩んでいる人であふれています。自信や希望を持てず、孤独を感じている人も増えています。20人に1人が鬱病で、一生の間に5人に1人が心の病にかかります。年間2万人以上の人が自死してしまいます。

このままでいいはずかない、どうにかしたい…

瑞雲信人

瑞雲信人(ずいうんしんじん)です。私は寺の息子ではなく一般社会で多くの体験して僧になりました。悩んでいる人、苦しんでいる人たちが悩み苦しみから解放され、安心して幸福・豊かに人生を生きられるようになるために役立ちたいと考えています。

私は禅僧で本場ミャンマーでも修行した本格的なマインドフルネス瞑想家・指導家です。そしてカウンセラー、コーチングコーチです。禅僧になる前に公私に豊富な希少な経験があり、ヒューマンスキルの講師などでもありました。

誰もが知る全国規模の事業開発、会社経営、鬱病を自力で治した経験もありますし、いくつもの自己実現もしてきました。そして、禅僧になり、さらにミャンマーで仏教の根本の瞑想修行もして、智慧の洞察と慈悲の心を持ちました。

皆様が苦悩することから抜け出て、安心、豊かに幸せに、自己実現して、より良い人生を生きていかれるようお手伝いさせていただいています。

日本の仏教の僧侶にとって重要な言葉があります。僧侶の根本の心構え・誓いで四弘誓願(しぐせいがん)と言います。

四弘誓願 衆生無辺誓願度"

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)、煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)、法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)、仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)です。

私は、この一行目、衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)がとても好きです。この言葉に出会って、僧侶になることを本気で決心しました。この世に生きるものすべてに救われてほしい良くなってほしいと願い、そのために生きるという意味です。

以下、時系列に、仏教徒関連する出来事もおりまぜて、私の経歴などをご紹介させていただきます。

瑞雲信人の主な経歴、仏教とのつながりなど

10歳の頃まで、学校の夏冬の休暇期間は田舎の母方の親戚の家に預けられていました。

その家の玄関に「一隅を照らす」と書かれた書が飾れらていて、「一隅を照らす、一隅を照らす」と心に沁み込んでいきました。高崎観音の近くの親戚の家にも預けられ、観音菩薩に見守られるように一人で遊んでいました。

誰に言われるでもなく幼い頃から仏壇を掃除てしてピカピカにすることの好きな子で、高校生の頃からは坐禅をするようになりました。

学歴

慶應義塾大学法学部法律学科を卒業しました。

会社に勤め

コンピュータはまだ普及しておらず、インターネットはまだなかった当時に、出版流通の通信ネットワークの全国網の構築を成功させました。

3店だったTSUTAYAを全国展開させるなど、様々な新規事業開発、業務改善を担当し成功させ、年商60億円を3年で300億円にする実績をあげ、年商500億円の経営戦略の立案・実行や関連企業の立て直しなども担当しました。

TSUTAYAからは常務にならないかとの誘いがありました。

お経三昧、見えた過去世?

毎日、お経をあげるようになり、しだいにそれが高じて、出社前に2時間、どんなに遅く帰宅しても夜2時間、読経する暮らしをするようになり、意識が朦朧としながらも読経はする日々を過ごすようになりました。

すると、自分の前世と思われるような光景が次々に見えるようになりました。それは恐ろしい光景もありました。日中、手をあわせるだけで様々な光景が見えるようなりました。そのため読経をすることを中断しました。

自未得度先度他、天上天下唯我独尊

次々に最先端のプロジェクト、売上拡大の戦略戦術を担当しながら、会社の机の上に「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」と「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と自筆で書いた紙を貼っていました。

いずれも仏教の言葉で、自未得度先度他は自分が救われるより他者が救われるように優先すること、天上天下唯我独尊は誰もが尊い存在であるという意味で、気に入って書いて貼っていました。

独立起業

TSUTAYAなどの事業で培ったノウハウをもとに、TVゲーム業界のモデル店と評価され、全国からメーカー、店舗経営者、問屋が見学に来るショップをつくりあげ、3年で年商5億円のチェーンを構築しました。

また、より多くの人の雇用の機会をつくろうと、ブティック、レストラン等も業態開発して出店・経営し、年商7億円としました。

慈悲の人?

有名な占い師に会う機会があり、その人の前に座るなり「あなたは慈悲の人ですね」と言われました。それからこの言われたことがどこかで気になりながらいました。

しかし、僧侶になりミャンマーでも修行るまで、慈悲の本当のありようを知らず、言われた本当の意味はわからずにいました。

鬱病を発症

上記のような学歴、ビジネスの成果をあげながら、実は子どものころからずっと、うまく生きれらない思いの消えない日々を生きていました。悩んでいました。

人知れず、子どものころから過敏性腸で乗り物や人との集まりも苦手になり、パニック障害を起こしたこともありました。

TSYTAYAの仕事をしていたころは過敏性腸はいっそうひどくなって、難聴、メニエールにもなり、1メートル離れた人の声が聞こえない状態になりましたが、聞こえているふりをして仕事をしていました。

そして、経営していた会社が年商7億円となったころ、離婚して当時4歳だった娘と二人暮らしになり、鬱病になりました。

どん底の経験

4歳の娘と二人きりで鬱病で、親兄弟、誰にも頼れず、会社の存続か娘の養育かの二者択一となりました。娘の養育を選んで、会社を廃業して、経営責任のため自己破産しました。

鬱病の希死念慮もあって、死にたいという考えが頭に浮かんでくる日々を過ごしました。日に日にお金がなくなり、娘には三食食べさせていましたが、自分は娘が残せば食べれるというようになりました。

お寺の境内で過ごす日々

住んていた隣りがお寺で死にたいというような気持ちが浮かんでくるたびに、お寺の境内にあるベンチに座りに行きました。

その回数は日に日に増え、一日に何時間も坐っているようになりました。聖観音菩薩像があり日に何度も手をあわせていました。

幼い娘はそんな私の周りで、一人遊びをしていました。

突然、1週間後、講師になる

全財産の残金が1万円を切った時、また境内のベンチに座っていると、突然、1年前にお会いした人から電話がありました、そして、1週間後、人財育成講師になれました。

おもしろいのは、実は講師は以前からなってみたいと思うことのあった職業でした。しかし、中小企業診断士などの資格がないと無理だろうと思っていました。その講師に電話がきて1週間後になれたのです。

実はどん底の最中、あるときから偶然にあることをしはじめ、それによって私に自己変容が起き始めていました。自分が変わるとこういうことが起きるのです。

心理学、カウンセリングを学ぶ

講師になれて、娘と二人、食べれるようになり、生き延びることができました。

こんな人生になった自分を変えたい、変えなければ大事な娘の人生も台無しにしてしまうと思い、自分を変えようと、独学で心理学、カウンセリングを学び始めました。

どん底の最中に偶然はじめていたあることが、鬱病の改善、心の改善、自分を変える方法として、カウンセリングとしてひじょうに良い方法だったことを知りました。そして、その方法をさらに発展させて、実践していきました。

カウンセラーになる

講師の仕事はまだそれほどなかったので生活は苦しかったですが、少し余裕ができるようになり、正式にカウンセリングを学び、カウンセラーの資格を取得しました。

学んでいて、自分自身を徹底的に見つめることをしていると、成育・成長による自分の人生の今までの心理的な理由・原因がはっきりとわかりました。「あぁ、こんなことから」と思うことが数々ありました。

また、娘の健やかな成長、心にとっては、だからこうしてはいけない、こうしたほう良いということもわかるようになりました。

そして、先にお話しした方法をカウンセリングとしてさらに発展させて取組んでいると、鬱病は消えていきました。「消えた」と自覚した出来事を今でも覚えています。

こうして、私は医者にかからず薬も飲まず、鬱病を治しました。

コーチングコーチになる

心理的な自己改善ができるようになって、次は未来志向で自己実現をしていきたいと考えるようになったのと、娘との関わり方のためにコーチングを身につけようと思いました。

当時まだコーチングは日本に入ってきたばかりで、アメリカの国際コーチ連盟認定の学習・資格制度しかなくて、資格をとるハードルも時間もお金もとてもかかるものでしたが、そうしてコーチングのコーチの資格を取得しました。

カウンセラー、コーチングコーチ、講師、コンサルタントとして再び起業

カウンセラー、コーチングコーチの資格を取得したこともあって起業しました。うまく生きれず悩んでいる人、向上したい、自己実現したい人の役に立ちたいと思いました。

自ら変わり鬱病も治した方法も活かしたカウンセリング、様々な事業構築や改善、経営戦略を成功させた企業人としての経験、起業家として様々な業種の店舗を開発・運営した経験も生かしたコーチング、研修、コンサルティングは多くの人に役立ち喜ばれました。

行政の改革・改善にも携わるようになり、破産から10年たった頃、年収は1,500万円を超えるようになりました。

海外旅行で不思議な体験

55歳にして初めて海外旅行に娘と二人行きました。娘の希望でアンコールワットに行きました。アンコールワットにのぼって、彫られた観音菩薩の前に立った時、観音菩薩の顔が輝いて、私に光をさしてきました。

アンコールワット

アンコールワットをおりて歩いていると、柵のようなものの向こうが気になったので行ってみると、少年が出家得度を受けていると思われる儀式を見ることになりました。

翌年、2度目の海外旅行はタイでした。ある寺院で誰もいない建物に入ると、亡くなった僧の蝋人形が飾ってあり、とても気になりました。近づいてじっと見ていると、娘が隣りにきて言いました。「パパ、そっくり」と。

まるでこのように仏教に関わる体験をするために海外旅行をすることになったようでした。

そして、後に私はミャンマーで修行をすることになります。カンボジア、タイ、ミャンマーは、お釈迦様の仏教を原型に近く守るようにしてきたテーラワーダ仏教国で、私はそういう引寄せの流れがこのときもう始まっていたように思います。

娘と共に転居 観音菩薩と娘に導かれて?

娘は美大に合格し、私は大かがりな仕事の区切りがついたので、娘と共に娘の大学のある金沢に転居しました。

金沢市にはたくさんの寺院があり、ある日、ある寺院で仏教講座が開かれているのを知り、出かけていきました。その日の話は「観音菩薩について」でした。

観音菩薩は、前世、偉い人の息子で、詐欺師に親は騙され死に、観音菩薩兄弟もだまされて財産を奪われ島に流され、兄弟は飢えて死んだ。

死ぬ間際、観音菩薩はこのような苦しい体験をした自分だからこそ、生まれ変わったら苦しんでいる人を救うことをしたいと言って死んだというような話でした。話の真偽はわかりませんが心を強く打たれました。

破産してから娘と自分の髪は私が切ってきました。ある日、自分の髪を切りましたが後ろがうまくできなかったので、娘にお願いして切ってもらいました。

すると娘は「あ、失敗した、あ、失敗した」とどんどん切って、私の後ろ髪はどんどん左右そろわず短くなり、しまいに娘は「もうだめだぁ」と大笑い。私も大笑いして「しょうがない、坊主にしよう」と坊主頭に。

そして、髪を剃ったことをきっかけに、聞いた「生まれ変わったら苦しんでいる人を救うことをしたい」と言って死んだという観音菩薩の前世の話が心の中でいっそう広がるようになり、「お坊さんになりたい」と思ったのです。

実はお坊さんになりたいと思うことは15年前にもありました。そのときは調べましたがインターネットがまだ普及してなくて、寺の息子か寺の娘と結婚するか、あっても怪しげな道で無理だと思いました。

僧侶になることを目指す

今回はインターネットで調べに調べて、一般の者でもなれるようになってきていると見つけて、そのことをしているお坊さんにさっそく会いに行きました。幾度かそのお坊さんの寺に泊まりに行って修行させていただきました。

そのとき、冒頭の四弘誓願を毎朝の坐禅の後の朝課の最初に唱えて知り、それでますますお坊さんになりたいと思うようになりました。

四弘誓願 衆生無辺誓願度"

普段も、毎朝4時に起き近くのお寺の軒先を借りて1時間半、坐禅させていただき、夜は自宅で窓を開け広げて2時間、坐禅するようになりました。金沢の冬は零度以下になることもありますが平気でした。

好き嫌いもなく、しようというのでもなく、私はただ坐禅をすることができます。

曹洞宗の僧侶に

日本には約7万5千の仏教のお寺がありますが、そのうち1万5千のお寺がある最大の宗派が曹洞宗です。大変有難いことに、私はその元トップ、管長だった板橋興宗禅師と面談する機会ができました。

禅師様の部屋に通され、禅師様の前に座ると、禅師様はニコニコ笑顔で「不思議だなぁ、縁だなぁ、不思議だなぁ、縁だなぁ」と何度もおっしゃいました。

そうして、板橋禅師様に得度していただき私は僧侶になりました。禅師の元で僧堂修行をしました。

板橋興宗禅師と御誕生寺の猫たち

瑞雲信人の瑞雲は板橋禅師からいただいた名前です。瑞雲とは、おめでたい兆しとして現れる紫や五色の雲のことです。

僧侶としてどうあろうかの苦悩

お寺を持たせていただいて、お寺という場所を活用して様々なことをして人の役に立ちたいという考えもあって僧侶になりましたが、自分の心にお寺を持つことへの執着、欲があるのではないかと思うようになりました。

お釈迦様はほとんど何も持たず、清貧に暮らしていました。法要・法事をしていたのではなく、定住のお寺も持っていませんでした。良寛さんのような、お寺の住職にならず庵で暮らした高僧と言われる人たちはどんな考えだったのだろうとも思うようになりました。

良寛さん

お寺を継いでほしいという有難いお話をいただきました。でも、こうして迷っているような状態でお受けしては申し訳ないと思いお断わりしました。

その当時の私では、寺を持つと、事業開発をしていた心がまたムクムクと起きだして、きっと寺を維持・発展することに事業家のようになってしまって、仏道がなおざりになっしまうのではないかとも思いました。

お釈迦様本来の仏教を探し求めて

お釈迦様の本来の教えは、一般的な信仰や思想の宗教ではなくて、どこまでも実践です。説いていたのは生き方、修行のし方であって、それを実行することです。

お釈迦様はサマタ瞑想を修行し、それでは足りないと苦行に入り、苦行でもだめだと理解して、ヴィパッサナー瞑想によって悟りました。

そして、人が苦悩にとらわれず生きていかれる具体的な方法として、サマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想の実践を含む八正道(はっしょうどう)を生きるようにと教えていました。

サマタ瞑想は集中の瞑想、ヴィパッサナー瞑想は智慧の瞑想です。現代の禅宗の坐禅はほぼサマタ瞑想になっています。私はヴィパッサナー瞑想も必要だとわかりました。

まず日本で在家向け(一般の人向け)のヴィパッサナー瞑想を体験しました。すると体験中から今まで変わろうとしても変われずに何年もいた思考が変わりました。

また、毎晩法話がありましたが、その中で預流果(よるか)に一度至った者は輪廻しても仏教から離れることはないという一節があり、自分に思い当たるところがありました。

本場のヴィパッサナー瞑想のしっかり修行したいという思いが強くなりました。

ミャンマーに修行へ

日本の仏教は、インドから北、チベット、中国、韓国や日本へ伝わった北伝仏教で、中でも日本の仏教は特に開祖仏教と言われ、お釈迦様の教え以上に宗派ごとの開祖の教えが重んじられています。

南のスリランカ、ミャンマー、タイなどに伝わった南伝仏教は、お釈迦様の教えを忠実に守ろうとしてきてテーラワーダ仏教と言われ、ヴィパッサナー瞑想はこれらの国で守られ実践されてきました。

本場のヴィパッサナー瞑想を修行するためにミャンマーに行くことにしました。

ミャンマーでヴィパッサナー瞑想を修行

ミャンマーでのヴィパッサナー瞑想修行では、毎日、12時間以上の瞑想と、瞑想以外のときも身体と心に気づき続けましたが、人によって進展が違います。私の場合はひじょうに進展がありました。

毎週3回、サヤドー・大教師に、どう瞑想に取組み、どうだったかを報告しますが、「あなたはロケットのように瞑想が進展するだろう」と言われました。私の気づきの能力は格段に進化し、一気に心・脳の清浄・変化が進みました。洞察智も次々に悟りました。

歩く瞑想をしていて、足が消え体が消え、それで歩いている状態となり、サヤドーに報告すると「無我にいたのだ」と言われました。一般の僧は「すべてのものには実態がない」と理論で理解しますが、私は無我そのものの境地にいる経験をし無我を理解しました。

ブッダの真理、一切苦、諸行無常、因縁生起も理屈・知識ではなく瞑想を通して実体験をしました。そうして理解しました。

智慧には、子どものときから情報として得た「聞所成智慧」、聞所成智慧に基づいて自分で考えて得た「思惟所成智慧」、修行を実践して体験したことによって得る智慧「修習所成智慧」の3種類があり、悟りは「修習所成智慧」です。

そして、ひじょうに微細に、また瞬間瞬間を気づけるようになり、一般の見える・聞こえるとは異なる次元で観えるように聴けるようになりました。

たとえば、真っ暗闇の中をゆっくりと進んでいるカタツムリに気づけ踏まずにすんだり、雨が地面に落ち、はねかえる水滴がスローモーションのようにはっきりと観え。

表面的にではなく、認識のプロセスに気づいているあるがままをとらえられるようになり、たとえば、数十メートル離れたスピーカーが振動しているのが観え、空気を振動が伝わって、それを耳が受け、脳が音と認識するプロセスとしてわかるようになり。

痛み、苦しみには苦しむことなく、気づき観ていられるようになりました。こうして、智慧とともに、真のあるがままに気づける人、気づいている人、真のマインドフルネスな人間になりました。

怒りの感情が現れることはなくなり、そのほかの感情にも心や思考を奪われることはなくなりました。四無量心(しむりょうしん)という、慈の心、悲の心、他者の喜びを我がことのように思う心、偏りのない平静な心を得ました。

ミャンマーの僧侶として出家する話もありましたがお断りしました。日本で悩み苦しんでいる人たちのために役立ちたいという思いがありました。

マザー・テレサのことを思い出していました。私は仏教の僧侶ですが、マザー・テレサを尊敬しています。

日本は20人に1人が鬱病で、一生の間に5人に1人の割合で心の病にかかります。年間2万人以上が自殺しています。孤独で寂しい人、苦悩している人であふれています。私も鬱病で苦しんだ経験があります。

マザー・テレサの言葉

マザーは1979年にノーベル平和賞を受賞し、1981年、82年に来日しました。

来日した際、マザーは私たち日本人に、日本の中の心の飢え、だれからも愛されないと苦悩している人を助けるようにとおっしゃいました。

マザー・テレサ

マザー・テレサ

また、日本の企業の寄付したいとの申し出に、「日本人はインドのことよりも日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」とお答えになりました。このことも思い出されました。

日本に戻って

私が根底から変われて、智慧も得られ、真のマインドフルネス、大安心、平穏でいられるようになった瞑想法を多くの人にできるようになっていただいて役立ちたいという思いが大きくなっていました。

そして、日本に戻り、Web寺の瑞雲庵を開設し、本格的なサマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想を元に本来のマインドフルネス瞑想の講座をつくりあげました。

あなたのためにお役立てください。

マインドフルネス瞑想マスター講座