マインドフルネス瞑想と禅の違いの真実。禅はマインドフルネス瞑想のルーツでは…

(この記事は瑞雲信人のブログで人気の高かった記事を転載しています。)

禅とマインドフルネス瞑想の違いを知らず、同じだと思ってしていたらいずれも100点中10点どまり位になってしまうので、禅とマインドフルネス瞑想の違いについてお話しさせていただきます。

マインドフルネス瞑想は禅では実現できないことを実現できるものです。

禅だけではマインドフルネス瞑想には足らない

「マインドフルネス瞑想は禅がルーツ」とか「マインドフルネス瞑想は日本に逆輸入されたもの」と言う人がいますが、それはカン違いです。禅僧がこれを言うと、私は悲しさを感じます。

マインドフル瞑想とは

そもそも現代版のマインドフルネス瞑想は、どのように構築されたものでしょう。

多く人が知るようになりましたが、アメリカのマサチューセッツ大学のジョン・カバットジン教授のマインドフルネスストレス低減法の瞑想法が現代版のマインドフルネス瞑想の先駆けです。

カバットジン教授がマインドフルネスストレス低減法を構築した経緯

教授は長年、禅をしていました。日本の禅僧以上に韓国で禅の修行をした経験があります。しかし禅では教授はマインドフルネスストレス低減法を考えつくことはありませんでした。

教授は、テーラワーダ仏教からアメリカに伝えられたヴィパッサナー瞑想に出会い取組みました。そして、マインドフルネスストレス低減法を考えつき構築しました。

マインドフルネス瞑想はヴィパッサナー瞑想がポイント

ヴィパッサナー瞑想にマインドフルネス瞑想の秘密はあるのです。ヴィパッサナー瞑想の要素がマインドフルネス瞑想には欠かせないのです。

つまり、禅だけではマインドフルネス瞑想としては足りないのです。

マインドフルネス瞑想は仏教のサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想が根本

仏教の瞑想には大別してサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想があります。本来の禅の坐禅はこの種別を越えたものですが、通常の禅の坐禅はサマタ瞑想になっています。

マインドフルネスストレス低減法は、カバットジン教授が禅のサマタ瞑想をしてヴィパッサナー瞑想をして、それで構築したので両方の要素が入っています。

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想をきちんと修行した人には、両方の要素が入っていることがわかります。特にヴィパッサナー瞑想のやり方が入っているとわかります。

ヴィパッサナー瞑想のやり方が抜けていたらマインドフルネス瞑想として失格

しかし、一般にマインドフルネス瞑想だと出回っている情報や教えられている方法はどうでしょう。ちゃんとヴィパッサナー瞑想のやり方が入っているでしょうか。

以前からあった瞑想法や集中法や自律訓練法や、一般的なヨガなどなど、様々なものをマインドフルネス瞑想だという人が出てきましたがどうでしょうか。

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の両方の面をそなえていなければ、マインドフルネス瞑想とは言えません。マインドフルネス瞑想としての効果はないからです。

禅だけでもそうです。禅だけでは、禅のやり方だけでは、マインドフルネス瞑想になっていません。足りません。

禅とマインドフルネス瞑想は目的があるかないかの違いではない

最近、禅宗サイドが、マインドフルネス瞑想と禅の違いは、禅の坐禅はどうなりたい、何のためと目的を持たずにするもの、マインドフルネス瞑想は現世利益を目的として取組むものという違いと言っているのを見聞きします。

禅の坐禅は理屈としてはそういうものですが、この論はちょっと格好つけすぎのように私はですが思います。禅の僧侶も個人的な目的があって坐禅を始めた人がたくさんいます。高僧と言われる人でもいます。

いっぽう、現代版のマインドフルネス瞑想をはじめて、それから現世利益より純粋に瞑想をするようになっている人もたくさんいます。

ですから、目的があるかないかが、禅とマインドフルネス瞑想の違いではありません。やり方が違うのです。やり方が違うということを知り認めることが、それぞれにとって大事なことです。

禅とマインドフルネス瞑想のやり方の違い

ヴィパッサナー瞑想と禅とでは、やり方が違います。そして、今の禅の坐禅はほぼ集中瞑想のサマタ瞑想です。ですから、禅の坐禅のようにしているだけではマインドフルネス瞑想をしていることにはなりません。

ネットを見ていると、禅のやり方をマインドフルネス瞑想のやり方だと書いているものを見かけますが、たとえばこんな違いがあります。

マインドフルネス瞑想は一点集中ではない

マインドフルネス瞑想の中にも、禅のように呼吸などの一点、一つのことに集中しつづける瞑想があります。集中の瞑想は、マインドフルネス、マインドフルネス瞑想の支えになる心の安定・静まり、集中を得るために役立つ瞑想です。

でも、これだけで終わっていたらマインドフルネス瞑想ではありません。

マインドフルネス瞑想は、一点、ひとつのことに集中つづけるのではなく、起きてくる、起きている心と体の現象を自覚化して気づくことをしていく瞑想がメインです。これはヴィパッサナー瞑想です。

調身、調息、調心はマインドフルネス瞑想には不要

禅の坐禅ではよく「坐禅は調身、調息、調心です」と言います。そしてマインドフルネス瞑想はそういうものだと説明しているのも見かけますが、マインドフルネス瞑想のメインは違います。逆にそういうことはしないようにするものです。

起きてくる、起きている心と体の現象を自覚化して気づくことをしていく瞑想ですから、たとえば、坐る瞑想ではとりあえず姿勢よく坐りますが、瞑想していて、姿勢がくずれてきたら、くずれてきたとそのまま気づくことします。意識的にすぐその姿勢をおなすようにもしません。

起きてくる、起きている心と体の現象をそのままあるがままに気づいていくことを繰り返し繰り返ししていくことで、自分の心身の機能、すべての成り立ちの真理に気づくようになっていくのが、マインドフルネス瞑想で大事なことです。ヴィパッサナー瞑想による智慧の獲得です。

禅とマインドフルネス瞑想はルートが違うもの

お釈迦様のインドから、マインドフルネス瞑想に特に欠かせないヴィパッサナー瞑想は、禅とは、そもそも別のルートで守られてきたものです。

お釈迦様の実践の瞑想が木の幹だとすると、現代のマインドフルネス瞑想に取り入れられたヴィパッサナー瞑想と禅は、幹から別の枝です。

北伝仏教と南伝仏教

仏教は2500年から2600年前頃に、今はネパール領に含まれている北インドで生まれたシッダールタ、後の釈尊、ブッダが覚り、説き広めたものです。

ブッダ亡き後、チベット、中国、韓国、日本に伝わったのを北伝仏教と言います。北伝仏教はもともとのブッダの教えから様々に変化し、日本は特に開祖仏教、宗祖仏教と言われ、ブッダより宗派の開祖、開祖の教えを第一とする特徴があります。

そして、禅は中国の達磨禅師を開祖とするものです。

いっぽう、スリランカやミャンマー、タイなどに伝わったのを南伝仏教と言い、南伝仏教はできるだけブッダの元々の教えと実践を守るようにしてきました。南伝仏教はテーラワーダ仏教と言い、ヴィパッサナー瞑想はテーラワーダ仏教で守られ、実践されてきたものです。

ですから、「マインドフルネス瞑想は禅がルーツ」とか「マインドフルネス瞑想は日本に逆輸入されたもの」は間違いです。

たとえば、1960年前後に、実は日本から禅僧たちがテーラワーダ仏教国にヴィパッサナー瞑想の研修に行ったことがあるそうです。しかし禅僧たちはヴィパッサナー瞑想をよく理解できなかったそうです。

それをマインドフルネス瞑想がブームになったからと、禅のほうがルーツだ、元祖だというような発想や発言をするのはいかがなものかと私は思います。批判をして申し分けありませんが。

マインドフルネス瞑想はサマタとヴィパッサナー瞑想を

さて、マインドフルネス瞑想には、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の両方の面が大事です。仏教でも、昔から両方は鳥の両方の翼のようなものと言い、片方では足らないといいます。

マインドフルネスな人になるには、集中の力と、気づきの力の開発が大事です。

サマタ瞑想は一点に集中し集中の力の開発をする瞑想、強い禅定を得ることのできる瞑想です。ヴィパッサナー瞑想は注意を集中して気づきの力を開発する瞑想、智慧を得ることのできる智慧の瞑想です。

マインドフルネス瞑想を着実に、そして、わかりやすく習得するには、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想を習得すると良いのです。

マインドフルネス瞑想はヴィパッサナー瞑想の面が欠かせない

マインドフルネス瞑想のメインは、注意を集中させて、自分の体、心の今に気づくことを続けていくようにすることです。これはヴィパッサナー瞑想です。この面がなければマインドフルネス瞑想として足りません。マインドフルネス瞑想とは言えません。

ヴィパッサナー瞑想を支え高めるサマタ瞑想

サマタ瞑想に取組まずにヴィパッサナー瞑想だけの取組むと、集中の力が足りず、ヴィパッサナー瞑想の注意を集中して気づくことが思うようにいかない場合が多くなります。

サマタ瞑想だけでも集中と心を静めることができるようになり価値がありますが、その集中と心を静める力が、ヴィパッサナー瞑想をするときの支えになり、よりヴィパッサナー瞑想を効果的にできるようにします。

実はマインドフルネス瞑想は現代版より仏教由来の方法のほうがやりやすい

仏教の瞑想と言うと、何だかとても難しいやり方・方法のようですが、実はやり方・方法自体はシンプルです。

奥が深く微細な面があるので、それなりの人にサポートをうけながら取組んでいくことが基本ですが、シンプルなので自分ひとりですぐに取組めます。取組んでチェックしてもらって、自分で取組んで…と進んでいけます。

いっぽう、現代版の先駆けのマインドフルネスストレス低減法はもともとクリニックに8週間通いながらの癒し、セラピーが目的なので、他者からの療法的な誘導が瞑想中にあったりします。

クリニックに行って誘導指導で取組んで、やり方を訓練して、毎日自宅でも一時間以上することが基本です。

まとめ

ここまで読んでいただいて、禅の坐禅だけではマインドフルネス瞑想としては足りないことはおわかりいただけたと思います。

もちろん、禅の坐禅だけでも素晴らしいものです。

そして、禅の坐禅は、マインドフルネス瞑想をするとき役立たないかというとけしてそうではありません。禅の坐禅は集中瞑想として素晴らしいものです。

禅の坐禅を活かし、マインドフルネス瞑想を活かす

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想は、鳥の両翼です。片方の翼の力が弱ければまっすぐ飛べませんし、両方の力が強くなれば飛ぶ力は一段と強くなります。

そして、禅の坐禅はサマタ瞑想として活かすことのできる素晴らしい瞑想法です。

禅の坐禅をサマタ瞑想として活かして取組むことで、集中の能力が高められ、心の安定を手にしていくことができます。そして、マインドフルネス瞑想に欠かせないヴィパッサナー瞑想の土台をしっかりすることができます。