両方の修行者によるマインドフルネス瞑想と坐禅の違い・関係の真実

最近は、マインドフルネスと禅、マインドフルネス瞑想と坐禅の違いがあいまいにされてきています。要注意ですし残念です。

私は禅僧として坐禅を修行し、マインドフルネス瞑想を根本の瞑想からミャンマーで修行しました。ですから、両方の違いを熟知しています。

マインドフルネスを禅のように思い、マインドフルネス瞑想を坐禅のように取組んだら、マインドルネス、マインドフルネス瞑想ではなくなります。

今からお話しすることは、マインドフルネスの本当の効果を得たい場合はひじょうに重要です。

一般によく言われる違いの説明は事実か

まず、一般的によく説明されている違いについて、実際はどうなのかからお話します。

例えば、有名な禅僧などによる説明でも多いのは「坐禅は目的を持たずにする、マインドフルネス瞑想は目的を持ってする・実利を求めてする」です。

坐禅は本当に目的を持たずにするか

坐禅は目的を持たずにする、確かに曹洞宗開祖の道元禅師も説いた重要なことです。

道元禅師の著わした坐禅の書『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』の第八段に次のよう記されています。現代語訳すると次になります。

坐禅の妨げになる一切の物事との縁を捨て放ち、万事を休息させ、善悪を思わず、是非の分別にかかずらわない。

すべてあれこれと動く心の働きを止め一切思量をめぐらすことなく、また仏になろうと意図しない。

普勧坐禅儀の全文は次の関連記事で紹介していますが、坐禅は何も思量することなく、何も求めることなく、ただひたすらする。なので曹洞宗の禅は「只管打坐(しかんたざ)」と言います。

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でも、マインドフルネス瞑想との違いに「坐禅は(マインドフルネス瞑想と違って)目的を持たずにする」と説明すると誤解を生みます。

目的・利益で坐禅を始めた僧だらけ、それでいい

第一にこの言葉が、人生で坐禅に取組むようになる動機が何の目的もない、純粋にただ取組むようになるもののように感じさせる点です。禅僧になる人はそのように純粋だと。

実際は、家が禅寺で継ぐ、結婚して禅寺の養子になった、僧になると住むところ食べることに困らなくなるから等の理由で、流れで坐禅をすることになった人などは当たり前。

昔から高僧と言われた人も、家を飛び出して寺に逃げ込んだからとか、あります。それでよいのです。まったくかまわない。

私を僧にしてくださり修行もさせてくださった曹洞宗元管長の板橋興宗禅師様は「心から満足しきれる生き方とはどういうことか」「自分の生命をかけて生きる正しい道理を求めて」坐禅をはじめられました。

板橋興宗禅師様
故 板橋興宗禅師様

お釈迦様も、人が生きるていることの真理、人が苦しみから解放される方法を求めて出家して瞑想をして、覚醒しました。

つまり、坐禅、ブッダの瞑想を始める動機は、皆ある。当たり前のことです。それでいい。

毎回の取組む時も目的を持って坐禅はする

では、何らかの目的が動機で取組むようになって、それで毎回の取組むときはどうなのか。

道元禅師が坐禅を一所懸命に取組んだのはなぜでしょうか。高僧たちも皆なぜでしょうか。やはり得たいことがあったからです。

また、曹洞宗では道元禅師が高祖、瑩山(けいざん)禅 師が太祖ですが、瑩山禅師の著『坐禅用心記』の第十四講に次のように書かれています。

常に大慈大悲に住して、坐禅の無量の功徳を一切の衆生に回向せよ。

坐禅は自分のためだけでなくて、すべての生きとし生けるものの安寧のためにします。

坐禅は取組み中は求めず、ひたすらひたすら

そして、坐禅は毎回の取組みで「取組みはじめたら」、目的意識でや思考はせずに、ひたすら坐禅します。目的はもたずになります。只管打坐です。

ただし、坐禅をはじめてすぐにそうできるようになれるとは限りません。悟ろうとか、多いのは無心になると求めてしまったりします。

坐禅は、坐禅のやり方で坐禅に取組むことを続けることで、求めるのではなくて自ずと、しだいに身心脱落、無心のような状態にもなるものです。

では、マインドフルネス瞑想はどうか

マインドフルネス瞑想も、皆さん、当然、例えば何かしら自分を変えたいという目的、そういう利益を得たいというのが動機で取組みはじめます。

私のマインドフルネス瞑想のWeb講座では、心の安定を得たいという人などか多いです。坐禅と同じく目的有りです。

毎回の取組みも、その動機となったことを達成したいと思ってします。これも坐禅も同じ。

そして、瞑想の取組み中について、目的に関して坐禅と違いが出てきます。この正確な理解には、マインドフルネス瞑想と言っても系統があることを知っておきましょう。

マインドフルネス瞑想には3種類の系統がある

  • ストレス緩和、医療・心理療法系のマインドフルネス瞑想
  • ビジネス系のマインドフルネス瞑想
  • 仏教系のマインドフルネス瞑想

ストレス緩和、医療・心理療法系、ビジネス系のマインドフルネス瞑想を知っている人か多く、それがマインドフルネス瞑想と思っている人も多いことでしょう。

でも、元々、仏教系のマインドフルネス瞑想があります。ミャンマーやスリランカもタイなどの上座部仏教のしてきたヴィパッサナー瞑想がそれです。サマタ瞑想がそれにセットになります。

特定の目的のためとそうではないマインドフルネス瞑想

アメリカで1960年代頃から仏教のマインドフルネス、その瞑想のヴィパッサナー瞑想が知られるようになっていました。

1970年代の終わりに、ヴィパッサナー瞑想を応用してストレス緩和・医療目的のマインドフルネストレス低減法がつくられました。

このマインドフルネスストレス低減法の中の瞑想がマインドフルネス瞑想と呼ばれるようになって、それが心理療法やビジネス目的で変異などされて使われようになりました。

仏教系のマインドフルネス瞑想は全人的な変容、力を持つためのもので、ストレス緩和、医療・心理療法系、ビジネス系はその系統通りの目的のものです。

系統によって取組み中のやり方・取組み方が違う

仏教系のマインドフルネス瞑想は、坐禅と同様に取組み中は目的意識は持たずに、坐禅のようにするべきやり方にひたすら取り組みます。目的を求めるようにすると得られるべきことが得られなくなります。

ちなみに私はミャンマーでその修行をしましたが、普通の一般の方々も長期滞在して、朝4時半から夜9時まで沈黙を守り一日中瞑想に取組んでおられ、それは禅僧の修行以上とも思える風景で私は心を打たれました。

ミャンマーでヴィパッサナー瞑想を修行

いっぽう、ストレス緩和、医療・心理療法、ビジネス系のマインドフルネス瞑想は、取組み中も目的のためのやり方をします。瞑想と言うよりイメージ療法などを取り入れたような感じのやり方など。

癒しや生産性の向上などの目的ありきで、そのための技術に瞑想をくっつけたようにもなっているやり方・取組み方もあります。

医学でいうと、いわゆる仏教系は根本治療の東洋医学的、ストレス緩和、医療・心理療法、ビジネス系は対処療法の西洋医学的です。

ですから、「マインドフルネス瞑想は目的を持ってする・実利を求めてする」という場合、ストレス緩和、医療・心理療法、ビジネス系のマインドフルネス瞑想のことになります。

しかし、対処療法的なのが悪いということではありません。そういうことを求めて何かをするのも人それぞれの自由な選択です。

さらに、ストレス緩和、医療・心理療法、ビジネス系のマインドフルネス瞑想をする人たちの中にも、取組み中は目的意識を離れ、ひたすら瞑想する人が多いものです。

目的云々という論は実態から離れている

そして、例えば坐禅で健康法ということをしている禅僧もいます。マインドフルネス瞑想でストレス緩和等々と似ています。それが悪いわけではない。

ただ、そういうことがあったり上記のようなので「坐禅は目的を持たずにするもの、マインドフルネス瞑想は目的、実利を求めてするもの」と説明するのは実態から離れています。

目的云々より大事な重要な違いがある

抽象的で実態から離れている説明ではなくて、坐禅とマインドフルネス瞑想には重要な具体的な違いがあります。このことのほうが大事です。

この違いがあいまいになってしまってきているのが、日本のマインドフルネス瞑想の問題点です。禅としても残念なことです。

そのために、マインドフルネス瞑想をしても本当のマインドフルネスの効果まで得られている人はわずかになっています。坐禅もあいまいなものになっていく心配があります。

マインドフルネス瞑想と坐禅の関係

マインドフルネス瞑想の流行が本格化すると、禅僧などによる「マインドフルネス瞑想が禅がルーツ、日本に逆輸入された」という言葉を見聞きするようになりました。

この言葉が、マインドフルネス瞑想と坐禅の違いをあいまいにした面があります。

マインドフルネス瞑想の本当のルーツ

禅がルーツが本当かどうか、正しいのかは、マインドフルネス瞑想の由来から考えればわかることです。次の2つの面からそれを解説します。

流行のマインドフルネス瞑想の本当の元は?

上記でもふれましたが、近年、マインドフルネス瞑想が流行するようになったきっかけは、アメリカのマサーチューセッツ工科大学医学部教授のジョン・カバットジン教授がストレス対処、ストレス緩和のためにつくったマインドフルネスストレス低減法です。

その瞑想方法が精神医療やビジネスの生産性を上げることなどにも効果があると、取組み方を変えられるなどしてマインドフルネス瞑想として広まるようになりました。

では、マインドフルネスストレス低減法をカバットジン教授が何からつくったか? 禅の坐禅とミャンマーなどの上座部仏教のヴィパッサナー瞑想です。

禅の坐禅からだけではありません。禅の坐禅の部分は全体の10%ほどでしょうか。これは両方を修行レベルまできちんと取り組んだ人ならば、すぐにわかるはずのことです。

本来のマインドフルネス瞑想とは?

そもそも「マインドフルネス」という言葉は、1880年頃、仏教の八正道という実践やあり方の教えにある「正念(しょうねん)」のことが英訳されたものです。

1960年代から、アメリカで日本の禅宗が坐禅を広め、ティク・ナット・ハン師などが「マインドフルネス」を中心にして仏教を説くようになりました。

仏教のマインドフルネスの瞑想法はヴィパッサナー瞑想で、ミャンマーなどの上座部仏教ではヴィパッサナー瞑想をマインドフルネスの瞑想とも言います。

もともと上座部仏教のヴィパッサナー瞑想がマインドフルネスの瞑想と言われていて、マインドフルネスはヴィパッサナー瞑想のやり方をすることによって実現することです。

言うならばルートが違うものの合体

お釈迦様が2500年ほど前に、インドで仏道を説かれて、亡くなられてから、チベット、中国、韓国、日本などに伝わったルートの仏教を北伝仏教と言います。

スリランカやミャンマー、タイなど、南アジア、東南アジアなどに伝わったルートの仏教を南伝仏教と言います。

禅は北伝、ヴィパッサナー瞑想は南伝

坐禅、禅は北伝仏教です。いっぽう、そもそものマインドフルネス瞑想のヴィパッサナー瞑想は、上座部仏教で南伝仏教です。

ですから、マインドフルネス瞑想は禅がルーツ、日本に逆輸入というより、もし言うならば別ルートのものが合体。

混同するとマインドフルネスも禅も違うものに

禅がルーツ、日本に逆輸入と考えていると禅のようにマインドフルネスを考え、坐禅のようにマインドフルネス瞑想をするようになります。日本はその傾向が強くなっています。

マインドフルネスを禅と同じことように考えたらマインドフルネスとしては足りませんし、マインドフルネス瞑想を坐禅のようにだけしていたら、マインドフルネス瞑想として全く足りなくなます。

禅、坐禅としても同じです。マインドフルネス、マインドフルネス瞑想と混同されるようになると、本来のものではなくなります。

実は坐禅無しでもマインドフルネス瞑想は成り立つ

そして、実はマインドフルネス瞑想は禅の坐禅なしでも成立します。近年のマインドフルネス瞑想もそうです。

ヴィパッサナー瞑想とセットの瞑想法にサマタ瞑想という瞑想があります。ヴィパッサナー瞑想が気づきの瞑想でマインドフルネスの瞑想のメインで、サマタ瞑想が集中の瞑想でその支えや高めるための瞑想になります。

もともとのマインドフルネス瞑想は、ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想のセットです。

坐禅とマインドフルネス瞑想の具体的な違い

具体的に違うということが重要です。

日本ではマインドフルネス、マインドフルネス瞑想を禅や坐禅のようなもののように語る人、指導する人が増えるようになりました。

違いがあいまいになってきました。残念ながら禅僧をはじめとした僧に多く、次にストレス緩和、医療・心理療法系のマインドフルネス瞑想をしている人が多くそうしています。

そのために、マインドフルネス、マインドフルネス瞑想が本来のこと、やり方からさらに遠くなり、その結果、本来の効果まで得られる人は少なくなりました。

坐禅とマインドフルネス瞑想は起きること、効果が違う

近年のマインドフルネス瞑想の流行はアメリカでストレス緩和のマインドフルネスストレス低減法から始まりましたが、アメリカではその前に坐禅が広く知られて取組んでいる人たちがいました。

その状況で、マインドルネス瞑想が新たにストレス緩和などに効果があると認められ普及しました。

なぜ、マインドフルネス瞑想が認められ普及したのか。坐禅に同じ効果があったならそうなりません。マインドフルネス瞑想と坐禅では得られること・効果が違うからです。

では、どうして効果が違うのか。このことをしっかり認識して、マインドフルネス瞑想を教えている人、している人が少ないのが残念です。

違うやり方のもので、結果の効果が違う

マインドフルネス、マインドフルネス瞑想を、禅、坐禅と同じこと・もののようにしたら、マインドフルネス、マインドフルネス瞑想はダメになります。

禅、坐禅のようにしていたら、マインドフルネス、マインドフルネス瞑想としての効果は100点中20点くらいまでしか得られません。

禅や坐禅も、本来のマインドフルネス、マインドフルネス瞑想のようなものと思うようになったら、禅、坐禅は本来の力が激減してしまいます。

マインドフルネスは瞑想法が2種類で

マインドフルネスの瞑想には瞑想の種類として気づきの瞑想と集中の瞑想の2種類があり、この2種類の特性・効果の相乗効果によりマインドフルネスになることをかなえます。

仏教系の本来のマインドフルネス瞑想は気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想で、それに本来の集中の瞑想のサマタ瞑想がセットです。

仏教系のマインドフルネス瞑想を応用したストレス緩和、医療・心理療法系、ビジネス系の発端のマインドフルネスストレス低減法は坐禅と気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想の応用です。

気づきの瞑想の取組みの重要さ

「マインドフルネス」とは「気づき」です。日常で自分の心と身体の現象にありのまま気づく・気づいている状態、その力・習性です。

これは、マインドフルネスの瞑想のうち気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想の取組みによって開発できます。ですから、メインは気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想です。

そして集中の瞑想も大事です。集中や心の鎮まりを高めることがすぐにでき、日常で技術としても役立ち、取組み続けていると集中の力、心の静まりが高い人になってきます。それが気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想を支え、安全に効果の高いものにします。

集中の瞑想のサマタ瞑想的な坐禅

坐禅は気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想、集中の瞑想・サマタ瞑想という分け方にはあてはまらないものと言われますが、現在の坐禅は集中の瞑想的なやり方が一般的です。

無心になると言われたりしますが、坐禅をしていて思考や記憶や感情、感覚が現れてきても、とりあうことなく、かかわることなく、坐禅していることに集中し続けます。

例えば、坐禅のやり方で数息観(すそくかん)という数を数えながらする方法も当然のように教えられていますが、数息観はサマタ瞑想のやり方の一つです。

集中の瞑想・サマタ瞑想的な坐禅では足りない

先ほど申し上げたように、マインドフルネスの瞑想は気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想と集中の瞑想・サマタ瞑想が両翼ですが

サマタ瞑想的な禅の坐禅のようにマインドフルネス瞑想をしていると、メインの気づきの瞑想をしていることになりません。ですから、マインドフルネスの効果は得られません。

坐禅のようにマインドフルネス瞑想をしていたら、片手落ち以上に不足になります。

マインドフルネス瞑想と坐禅のやり方の違いの例

マインドフルネスの瞑想の集中の瞑想・サマタ瞑想は、一般的な坐禅と似たやり方ですが、メインの気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想はやり方が違います。

しかし、集中の瞑想と気づきの瞑想の区別もなく、坐禅と同じような考え方・やり方でマインドフルネス瞑想を教えられていることがかなりあります。

マインドフルネス瞑想は「気づき」がメイン

繰り返しますが、マインドフルネスは「気づき」の習性と力なので、メインはそれを開発することです。ですから、瞑想もありまままを「気づく」取組みがメインです。

そのためのメインの気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想のやり方は、例えば坐禅とは次のような違いがあります。意外と思う人もいると思います。

マインドフルネス瞑想は集中できなくてもいい

瞑想は集中するものと思っている人が多いですが

禅の坐禅やサマタ瞑想は、している最中に思考や感情・感覚が現れても、それに関わらず、集中をしている対象やことに集中していくようにします。集中を重視します。

いっぽう、マインドフルネス瞑想のメインの気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想は、思考や感情や感覚が現れたら、現れた瞬間に、それに気づことを繰り返す取組みです。

集中できないときは集中できない、気が散っているときは散っている、瞑想をやめたい気持ちが現れたら、それにもそのまま気づく、そんなふうにありのまま気づくようにします。

ありのままありのまま気づき続けることをしていると、集中もやってきます。でも、集中できないときは集中できていないことにありのまま気づきます。

マインドフルネス瞑想は調身、調息、調心でなくていい

坐禅は「調身、調息、調心」、正身端座(しょうしんたんざ)という姿勢を第一に重視します。姿勢を整え息が調い心が調う。瞑想中も調身の状態をキープするようにします。

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マインドフルネス瞑想もそういうものと教えているのを見かけますが違います。

気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想は、坐禅のような結跏趺坐や半跏趺坐という足の組み方も、法界定印などの手の形もしなくていいものです。

ただ良い姿勢はできるほうが良いです。また気づきの瞑想はセットで集中の瞑想をすると良いです。

なので、私のマインドフルネス瞑想の講座は、はじめに集中の瞑想をマスターするので、坐禅を活用してそういう姿勢をできるようにします。

でも、マインドフルネス瞑想のメインの気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想に取組むときは、瞑想中に姿勢がくずれてきたなら、くずれてきたそのままをありまま気づくようにします。

息も同じです。心についても同じです。乱れてきたら乱れているとありのまま気づくようにします。

マインドフルネスは「今ここに集中」とは別

マインドフルネス、マインドフルネス瞑想が、禅や坐禅のように「今ここに集中」というフレーズでされていることを見聞きします。

そうしているとマインドフルネス瞑想の本当の効果は遠のきます。なぜなら、マインドフルネスは「気づき」、「今この瞬間この瞬間に気づいていること」です。

「今ここに集中」も大事ですが、マインドフルネスとしてはそれがメインではありません。上記の瞑想のやり方の違いを読んでもうわかりの人もいると思います。

2種類の集中の力を養うことが大事

今ここに集中は禅的なあり方で、今していることを一所懸命に集中してするような意味で強い集中状態になります。坐禅や集中の瞑想・サマタ瞑想は禅定と言われる状態になります。

いっぽう、マインドフルネスの気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想は、瞬間瞬間の自分の内・外に対して自分に現れる心と体の現象に気づく、集中は瞬間への集中になります。

「今ここに集中」の集中の瞑想・サマタ瞑想は気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想をスムーズに効果的な取組みにしてくれます。

でも、マインドフルネスは「今この瞬間この瞬間に気づいていること」、マインドフルネス瞑想のメインですることは「今この瞬間この瞬間に気づく」です。

「今ここに集中」の集中瞑想と「今この瞬間この瞬間に気づく」の気づきの瞑想をしっかりとそれぞれマスターして取組むことが、本当のマインドフルネスになる秘訣です。

悟りの違い-身心一如と名色分離智

坐禅は「身心一如」、取組んでいって、身体と心は一体であって分けることはできず、一つのものの両面にすぎないということに到達します。

いっほう、マインドフルネス瞑想の気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想に取組んでいって、現れるのは「名色分離智(みょうしきぶんりち)」という洞察智です。

この名色分離智が最初の智慧として現れて得られて、しだいに10以上の智慧が現れて得られて行きますが、名色分離智は心と体を別ととらえられるようになります。

自分の心と体の現象の瞬間瞬間に気づく取組みを繰り返すことで、心と体は別であること、その関係を知るようになります。

まとめ

日本では、マインドフルネス瞑想と坐禅の違いが抽象的にいわれたり、マインドフルネスやマインドフルネス瞑想が、禅、坐禅のように言われ、やり方も同じように教えられている傾向があります。

そうしていると、マインドフルネス、マインドフルネス瞑想としての本当の効果は得られません。

マインドフルネス瞑想のメインには、ここまでお話してきたように坐禅とは具体的にやり方の違いが大きくあるからです。

そして、違いをよく理解した上で、坐禅に取組むと、坐禅はマインドフルネス瞑想の習得にとても効果的に役立ちます。

お勧め 坐禅をマインドフルネス瞑想に生かす

マインドフルネス瞑想のメインの気づきの瞑想に安全に効果的に取組めるようになるには、集中の力と心の安定がそれなりに必要です。

日本の昨今のマインドフルネス瞑想の取組みは、基礎づくりもせずに安易に取組むので、本当の効果を得られていない人、瞑想難民、危険な状態になっている人が大勢います。

私がミャンマーで修行したときにもそういう人がいましたし、私の講座を見つけて受講される人の中にも、そうなってしまっていて受講なさる人がいます。

重要な集中の力・心の安定の基礎の開発

ストレス社会で生きてきて、集中の力や心の安定度が低めなのに、それをしっかりと養わないからです。

仏教系のマインドフルネス瞑想でもヴィパッサナー瞑想だけをすぐに取組む傾向がありますが日本人の場合はそれではだめです。力はあまりつきませんし危険も高くなります。

上座部仏教国の僧の修行でもサマタ瞑想をある程度できるようにならないとさせない派もあるくらいです。まず集中の瞑想の取組みをすることが大事です。

坐禅を基礎づくり、基礎トレーニングに

そして、坐禅は奥が深いですがやり方はシンプルです。また集中の瞑想として活かすこともできます。

ですから、本格的な集中の瞑想の習得の前に坐禅を学び取組むと、坐る型の基本の習得、集中する経験、瞑想の習慣化ができて、集中の瞑想、気づきの瞑想の習得がスムーズになり、上達もしやすくなります。

つまり、坐禅を学び取組む → 集中の瞑想を学び取組む → 気づきの瞑想を学び取組む、という順番で習得することが、マインドフルネスの瞑想のマスターには最適です。

なので、瑞雲のマインドフルネス瞑想の総合講座はこの順番のプログラムになっています。

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