慈悲の瞑想の正しいやり方・方法と取組み、間違っていませんか?

from 瑞雲信人

本来とは違うものが慈悲の瞑想と言われてされていたり(参考記事)、せっかくの慈悲の瞑想のやり方・方法、取組みが残念なことになっているのを見聞きします。

慈悲の瞑想としての効果を得るためには、慈悲の瞑想として適切なやり方・方法ですることが欠かせないので、この記事はそうでないやり方・方法がされていることも考慮した記事にします。

そして取組み方も大事。マインドフルネス瞑想でもそうですが、「慈悲の瞑想をすれば」とそれだけすれば効果が得られるように言われていることがありますが本当はそうではないです。

本来の慈悲の瞑想のやり方・方法、注意点

慈悲の瞑想は慈悲の瞑想のまとめの記事で説明していますが、南アジア、東南アジアの上座部仏教(テーラワーダ仏教ともいう)のお釈迦様の時代からされてきた仏教の瞑想です。

本来のマインドフルネス瞑想のヴィパッサナー瞑想と同じ上座部仏教の瞑想の一つです。

慈悲の瞑想は種類は何か?

やり方・方法として見落としてはいけないのは、慈悲の瞑想の瞑想としての種類です。

仏教の瞑想は大別すると「集中の瞑想のサマタ瞑想」と「気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想」。サマタ瞑想のやり方・方法には40種類あり、慈悲の瞑想はその1つ。だから慈悲の瞑想は集中の瞑想としてやり方・方法でするものです。

集中の瞑想・サマタ瞑想は、一つのものや一つのすることに集中する瞑想。例えばよく知られている呼吸集中の瞑想は呼吸に意識を向け呼吸をしていることに集中し続けます。

本来の慈悲の瞑想のやり方・方法の基本

慈悲の瞑想のやり方・方法は、原則として坐る瞑想のように坐ってします。そして集中して、慈悲の文章を心の中や声に出して唱えます。

集中の瞑想だから、文と文を唱えることに集中して、文を1行1行、念じながら唱えます。念じながらとは意識をきちんと向けながらという意味。文に意識をしっかりと向けて唱えます。

注意-意図的に意識を変化させるものではない

時より文章の内容にそって意図的なことをするよう指導されていることがありますが、それは必要ないことです。それをすると様々に思考がとび集中の瞑想から外れやすいし、心理的リスクもあります。

文の内容についていろいろ想像したり、意識を意図的に変えようなどするのではなく、文に集中して、文を念じ唱えることに集中するのでよい。意識は文を集中して念じ唱えるやり方・方法を繰り返していればおのずと変わってくる。慈悲の瞑想の貴重な効果は得られます。

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注意-他者の言葉に意識誘導されるものではない

他者が文を声を出して言い、その誘導で文に従い意識を変えていくやり方・方法がされていることがありますが、本来の慈悲の瞑想はそうするものでもありません。

慈悲の瞑想は誘導瞑想ではない。他の人と一緒にする場合に代表の人が文を声を出して唱えることはするが、意識誘導するのではなく、それに続いてそれぞれの人が同じ文をそれぞれに唱えます。

慈悲の瞑想で唱える文章の例

どんな文章を唱えるとよいか。文は、日本の仏教の漢文のお経のような文ではなく、一般の人にもわかる普通の言葉の文です。もともとお釈迦様は弟子にも一般の人にも普通の言葉で語っていました。

慈悲の瞑想は、冒頭でも申し上げましたが上座部仏教というスリランカやミャンマーなどの仏教で実践されてきたものなので、上座部仏教系の文章を3種類紹介します。

それぞれ全文がわかるように紹介しますが、実践は短い文でももちろん良いです。

ゴエンカ式の慈悲の瞑想の文章

ゴエンカ式とは、ミャンマー人の在家者であるゴエンカ氏がひろめた在家者用のボディスキャン型のヴィパッサナー瞑想のこと。

私が慈悲の瞑想に初めて出会ったのはゴエンカ式の10日間の合宿でしたが感動しました。

すべての人びとが、苦しみから解放されますように

真の平安、真の調和、真の幸福を享受することができますように

生きとし生けるものが幸せでありますように

(参照 日本ヴィパッサナー協会)

チャンミェ・サヤドーの慈悲の瞑想の文章

チャンミェ・サヤドーは上座部仏教のミャンマーの大長老。ヴィパッサナー瞑想として最も代表的な方法のマハーシ式のマハーシ・サヤドーの高弟の大長老です。私はミャンマーでチャンミェ・サヤドーの寺院で修行しました。

すべての生命が幸せで安穏でありますように

すべての生命が憎しみや敵意から逃れられますように

すべての生命が病気や危険から逃れられますように

すべての生命が心と身体の苦しみから逃れられますように

スマナサーラ長老の慈悲の瞑想の文章

日本に長く在住しているスリランカの僧のスマナサーラ長老の文章。

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとがかなえられますように

私に悟りの光が現れますように

(以上1回)

私は幸せでありますように

(3回繰り返す)

この文を、主語を変えて唱えます。

この次に「私の親しい人々」、「生きとし生けるもの」、続いて「私の嫌いな人々」「私を嫌っている人々」にして唱える。「私の嫌いな人々」「私を嫌っている人々」は3回繰り返しの部分はない。最後に「生きとし生けるものが幸せでありますように」と3回唱える。

なお、この文などで「私が主語が一番大事」というような説明がされていることがありますが、問題がありますのでその点については次の記事でお話ししています。

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慈悲の瞑想はいつどのように取組むもの?

では、上記のようなやり方・方法の慈悲の瞑想は日頃どのように取組んだらよいのか。取組み方が良くなければ、効果はあまり望めません。

ます次の種類のパターンの取組み方かあります。

  1. 慈悲の瞑想を単独でする
  1. 他の瞑想と同時にする。

慈悲の瞑想だけ取組めば良いのではなくて

慈悲の瞑想は集中の瞑想のサマタ瞑想で、古来、集中の瞑想のサマタ瞑想と気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想を鳥の両翼のようにセットで重要と言い、共に取組むことで、正しく高く安全に瞑想の力はついて効果を得られるとしています。

また最近の脳科学で慈悲の瞑想は思いやりなどの効果があるとなっていますが、正確にはそれらに関連する脳の部位が活発になるということで、部位自体やネットワークに変化をもたらすのはヴィパッサナー瞑想のほうがあり、だからセットで取組むことで効果的になります。

本来の効果を得るにはさらに

そして、慈悲の瞑想の効果を得たいとしたら、他にも欠かせないことがります。「慈悲の瞑想をすればこんなすごい効果がある」とばかり言われていることが多く、多くの人が慈悲の瞑想をしさえすればいいんだとカン違いしています。

それは関連記事でお話ししています。

まとめ

慈悲の瞑想をして、本来の慈悲の瞑想の素晴らし効果、すごいとも言われている効果を得るためには、本来の適切なやり方・方法ですること、それを適切な取組み方で取組むことが大事です。

まず、上記で説明したやり方・方法、取組み方を参考にしてください。そして慈悲の瞑想だけすればいいのではないのでそれは上記で紹介した関連記事を参考にしてください。

生きとし生けるものが苦しみから解放され、幸せでありますように

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