慈悲の瞑想 無財の七施で慈悲の実践も
慈悲は大切と仏教の僧や信徒、仏教に親しんでいる人は思っていて、言葉でもそう言います。では、慈悲の実践はどうか。
また、慈悲の瞑想が知られ流行するようになってきていて、、ネットでは慈悲の瞑想をすれば、それでものすごい効果があるように書かれています。
しかし、古来から慈悲の瞑想をするだけではなくて慈悲の行為をすることが重視されていて、実際そうでなければ現実的な効果はのぞめません。
では、どんなことをすればよいのか。
<参考記事>
慈悲の実践の参考になる無財の七施(むざいのしちせ)を紹介します。
無財の七施とは
布施は、一般的には在家者が寺や僧に、物やお金を渡すことのように思われていますが、本来はそれだけではありません。
身の回りのためのものや食べ物やお金を与えるのを財施と言い
これは在家者から出家者へだけでなく、出家者から在家者へ、また出家者から出家者もありましたし、今もあって良いことです。在家者から在家者への財施も布施と言っても良いように思います。
狭い意味ではいろいろとあの経典には云々といううことになるわけですが、人のためになろうという心による行為が布施と考えればよいように思います。
そして、無財の七施は、財施や法施ではないことで、誰でもどんな時でもしようと思えばできることです。
121の様々な物語が含まれている経典の雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)に、大いなる果報をえられる金銭や物をともなわない七つの布施(ふせ)として説かれています。
無財の七施の内容
次の7つが無財の七施です。
眼施(がんせ)
慈眼施(じがんせ)とも言い優しく慈しみに満ちた眼差しを人や生き物におくることです。
和顔施(わげんせ)
和顔悦色施(わげんえつじきせ)とも言い、喜びが表れた、やわらかで穏やかな顔つき・表情を、人や生き物におくることです。
愛語施(あいごせ)
言辞施(ごんじせ)とも言い、優しい言葉づかいで、プラスに認める言葉、思いやりの言葉を人や生き物におくることです。
身施(しんせ)
捨身施(しゃしんせ)とも言い、人や生き物の助けになることを身をもってすることです。
心施(しんせ)
心慮施(しんりょせ)とも言い、人や生き物に心をくばり、それぞれの人や生き物の立場でその人や生き物を考えることです。
牀座施・床座施(しょうざせ)
座をゆずることです。座は坐る場所だけでなく、順番や職や地位などの場合もあります。
房舎施(ぼうしゃせ)
人や生き物が苦難をしのげるように場を提供することです。
無財の七施の実践のすすめ
無財の七施は、お金も物もなくてもできて大きな果報が得られます。法を説く力などが無くてもいいのです。
ぜひ、実践しましょう。
小さなこと、たとえば身近な人や日常でお店に行ったときの店員さんなどへ、笑顔で「ありがとう」の一言からでもよいので。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
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