仏教ではどんな見解を持つようにとされていて、持たないように手放すようにとされているのか。
いずれも仏教では悟りで得心するまでになろうということですが、まず知識として知っておくことが大事ですから知っておきましょう。
正しい見解
正しい見解は、「八正道」の正見に該当します。

正見は、八正道全体の実践が進み智慧が増進すると「正智」になります。八正道は正見が正智となることを全体として実現していきます。
正見、正智とは
四聖諦について正しい見識・見解、智慧を持っていることです。
また、三相(諸行無常、諸法非我・無我、一切行苦)、縁起を正しく理解していて、物事に対して正しい見識・見解、智慧を持っていることです。
物や出来事、自分や他者、環境…すべての物事はすべてとどまることなく変化する、永続的・決定的・固定的なものはない、因と縁で今はそういう果になっているという正しい見識・見解、智慧を持っていることです。
手放すべき見解
五見や五悪見と言われる次です。
正見が正智レベルとなると、これらの見解が手放される、全くなくなることになります。仏教の修行の場合はそうなることが達成となります。
なお、「我」ということが出てきますが、それについてはこの次のページの講義で詳しく学びます。
有身見(うしんけん)
五蘊を固定的・実体的な「我」、自分とみなす「我見」、物事を自分の所有と思う「我所見」を合わせた有身見。
仏教の重要な基本的立場・根本の教理の三相の中に諸法非我・無我がありますが、正智レベルでは諸法非我・無我がしっかりと智慧レベルで得心され有身見が消えます。
辺執見(へんしつけん)
「我」は断絶するあるいは死後も常住であると一方の極端に偏る辺執見。
例えば三相に諸行無常があることから「我」は無常、滅するとの見解となり、その見解に固執するケースがありますが、正智レベルとなるとそうなるのではなく、断絶するか死後も常住であるか一方の見解に偏らなくなります。
邪見(じゃけん)
因果の道理を否定する邪見
見取見(けんじゅけん)
自らの見解だけを最高とし他の見解を誤りとする見取見
戒禁取見(かいごんじゅけん)
因果の道理に基づいていない誤ったしきたりや戒律や儀式や迷信事などにこだわる、また、それによって解脱が得られるとする戒禁取見。世の中の現実には、人間の利を得たい欲により設けられ宣伝された原因と結果による様々なしきたり、戒律、儀式、迷信事などがあります。