ステップ1

マインドフルネスとは(本来の意味)2

理解をさらに深めるため、近年の解釈との比較もして説明します。

近年に言われている「マインドフルネス」の定義

近年の西洋型のマインドフルネス瞑想の最初のジョン・カバットジン教授の著書『マインドフルネスストレス低減法』(北大路書房刊)には、次のように書かれています。

マインドフルネスストレス低減法による説明

マインドフルネス瞑想法は、注意集中力を高めるためのトレーニングを体系的に組み立てたものです。これはアジアの仏教にルーツをもつ瞑想の一つの形式を基本としています。

注意を集中するとは、一つひとつの瞬間に意識を向けるという単純な方法です。

近年のマインドフルネスの考えかた・解釈の多くは、ここから「注意集中」「集中すること」「一つひとつの瞬間に意識を向ける」をメインとする傾向が生じるようになったと考えられます。

そして例えば、日本マインドフルネス学会のホームページには次のように定義が掲載されています。

日本マインドフルネス学会による定義

今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ることと定義する。

なお「観る」 は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味である。

この定義は、「意図的に意識を向け」と意図することになっている点に注意が必要です。

また「評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観る」は、マインドフルネスの説明でよく言われることですが注意が必要です。なぜなら、マインドフルネスは本来、私たちは普通はそうはなれないことを前提で、瞑想に取組んでそうなれることを習得していくものです。

本来のマインドフルネスは

次の点を留意しましょう。

意図や注意をするを超えて、習性・在り方

近年のマインドフルネスは「意図的に意識を向ける」「注意を集中する」となっていて、その時その時に注意集中したり意図的・意識的にするものと考えられる傾向があります。

一方、本来のマインドフルネスは、集中する・意図することをしなくても、日常でいつでもマインドフルネスが当然、習性、普通の通常の在り方になっていることです。

いつも「当たり前に」気づく力と習性

日常で私たちは次々に瞬間瞬間に体や心に現象・体験が生じます。それにすべて意図的に意識・注意を向けるのでは間に合いません。

なので、本来のマインドフルネスは、瞑想の取組みを繰り返して、意図的に意識・注意を向けなくても当たり前に気づく力と習性をつけます。

今ここに集中、注意集中などは別の「正定」

そして「集中」について。上記で紹介した定義に「注意集中」とあり、また、マインドフルネスが「今ここに集中」とされていることがあります。

しかし、マインドフルネス・正念が含まれている八正道を知ると、「今ここに集中」「注意集中」などは、別の項目の正定(しょうじょう)のことだ理解できるようになります。

正定は、集中の力の開発、今ここに集中することを目指しかなえる項目です。

八正道の中で、マインドフルネスと訳された正念のための瞑想がヴィパッサナー瞑想で、そのセットのサマタ瞑想は正定のための瞑想です。

両方が大切です。でも、本来のマインドフルネスの意味は分けて「気づき」等と覚えておくほうが、マインドフルネスを正しくできるようになるためには良いです。

マインドフルネスは意図的な集中がなくてもできるようになる

本来のマインドフルネスは「気づき」として、しっかりとその力と習性をつけることが大切ですが、正定の集中の力の支援もあって、今この瞬間瞬間に気づく力と習性がつきます。

日常の中で、意図的な集中、注意集中をすることがなくても、ごく自然に今この瞬間瞬間の自分に気づき、そして「今に在る」ようになります。

マインドフルネスは、脳の記憶・回路の浄化もして

近年のマインドフルネスは、現在の自分のまま意図的・意識的に注意集中して、評価をせず、とらわれのない状態で気づくようにと思ってして、それでマインドフルネスと解釈する傾向があります。

そして、見る、感じる、聞く、食べることなどで、注意集中して何かの対象をしっかりと認識する、対象によって現れる自分の思考や感覚などをしっかり把握するようにしてすることを「マインドフルネスをする」「〇〇マインドフルネス」等と言ったりします。

こういう取組み・やり方も、通常はそうせずにしていることをしっかり集中してしますから、そうしないより細かなことがわかるなどの良い面はあります。

でも、本来のマインドフルネスは、別のことが重要です。

なぜなら、私たちは注意集中して評価をせず、とらわれのない状態で気づくようにと思っても、脳の自動操縦が入り、それによって無意識に反応・認識・評価・判断をします。

例えば、何かを食べて感じる味覚、甘い・辛いなどや、おいしい・まずいなどは脳の過去の経験のフィルターを通してそう感じ思うことです。見る、聞く、触れるなどのことも同じです。

いっぽう本来のマインドフルネスは、人間はそういうものと認めて、脳の自動操縦の記憶・回路を浄化するやり方で気づきの瞑想に取組みます。

本来のマインドフルネスは、思い込みや先入観などからの脱却

マインドフルネスは、毎日を人生をいつも安心してより良く生きられるためのものですが、私たちの毎日・人生がそうでなくなってしまう、そうできなくなる大きな原因があります。それは何でしょう。

それは「自分が思った、感じた、認識、評価・判断」はそのもの、出来事、人について「正しい」認識、評価・判断だ、「正しい」と思い込むことです。「あるがまま、ありのまま」だと思うことです。そうして一度持った評価・判断を持ち続けることもします。

そして、例えば、自分は正しく他者を間違いだとしたり不快に思ったりして、対立したり葛藤したり、自分を思い込みや先入観で縛って苦悩するようになってしまったりします。

それが本来のマインドフルネスの正念な人になると変わります。次のように気づく力と習性がつくからです。そうして脳の記憶・回路も浄化されるからです。