ステップ1

マインドフルネスの正しい気づき方

前ページの講義で、マインドフルネスの本来の意味を学びました。では、マインドフルネスの正しい「気づき」とはどんな気づき方をするのかを学びます。

本来のマインドフルネスの場合を学びます。

「自分」をありのまま気づく

本来のマインドフルネスは、自分の心・体、その現象を、客観的にありのまま気づく。

近年のマインドフルネスは、自分ではなく「対象」について注意集中して「対象」をしっかりわかろうとして、「対象」を「ありのまま気づく」と言う傾向があります。

たとえば、りんごを対象に、りんごに注意集中して

  • りんごをしっかりと観て「りんごの形はこうだ」と気づく
  • しっかりと気づきながらりんごにふれて、「りんごの感触はこうだ」と気づく
  • りんごを一口、口に含んで、味にしっかり気づくようにして、「リンゴの味はこうだ」と気づく

そして、「りんごの形、感触、味が、初めて本当にわかった」と言ったりされることがあります。

さて、どうでしょう? りんごに本当の形や感触や味というものがあるのでしょうか。

ありません。これらは、ただ今は自分はそう見た、感じたということです。時が変われば違ったり、他のりんごだと違ったり、さらに、自分ではない人は違います。

マインドフルネスの「ありのまま」とはこういうことではありません。

「自分の心と身体の現象に」気づく

自分以外の「対象」について気づくのではなくて

本来のマインドフルネスは、自分を客観的に常に認識・認知するメタ認知です。いつも今この瞬間この瞬間の「自分に」正しく気づいていることです。

本来のマインドフルネスの正しい気づき、ありのままという気づきは、いつも今この瞬間この瞬間の「自分の心と身体の現象に」正しく気づいています。

マインドフルネスで重要なのは、自分の認知を客観的に常に認識するメタ認知力です。

本来のマインドフルネスの正しい気づきは

対象を「これは△△だ」ではなくて、「今、私に」〇〇している、〇〇と見ている、聞いている、感じている、評価・判断している心・体の現象が現れているという気づきをします。

対象についての反応・判断・評価は、その時その時の自分によって変わります。

それは正しいやありのままとは言えません。でも、それを自分は正しい、ありのままをわかっているとして、私たちは間違えを犯します。本来のマインドフルネスはそういうことから脱却するものです。

本来の本当のマインドフルネスの気づきのできる人になってくると、たとえば

  • りんごを甘いと感じたとき「このりんごは甘い」ではなくて、「(今、私に)甘いと感じている心の現象が現れている」というように気づく。
  • 誰かの言葉で不快になったとき「不快な言葉だ」「不快な人だ」等ではなくて、「(今、私に)不快に感じる心の現象が現れている」等のように気づく。
  • 体に痛みが起きたとき「痛い」ではなくて、「(今、私に)痛みという体・心の現象が現れている」等のように気づく。

このマインドフルネスの気づき方は、対象をこれは何々だという認識や判断を持つのとは違うことになりますから、対象に巻き込まなくなります。

また「今の自分に」として気づくので、それに固執することもなくすむようにもなります。そのほか大きなメリットがあります。

本来のマインドフルネス、本当のマインドフルネスにいつもいられるようになると、日常のあらゆる場面でいつも「自然に」このような気づき方している人に変容し、毎日や人生は変わってきます。