【動画による講義】
【文字による講義】
ステップ1の講義の瞑想の種類で学んだことも復習しながら説明します。
サマタとは集中を意味し、サマタ瞑想は集中の瞑想です。静寂の瞑想や平静の瞑想とも呼ばれます。
フォーカス・アテンション型という瞑想です。何か1点のイメージに注力し続けたり、呼吸をすること、何かを唱える・念じるなど1つの何かをすること、何か1つについて考えることを注力して続ける瞑想です。そうして「今ここに集中」します。
なお、集中しよう集中しようとするのではなくて、やり方にただ専念して、その結果として集中状態になるようにします。集中しよう集中しようと意識することは、集中をしているものやことではないほうに心を使ってしまうことになります。
呼吸に集中する場合
呼吸を集中の対象として瞑想するときは、呼吸していることに焦点をしぼり、ほかのことには一切とらわれないようにします。
呼吸にともなう感覚、心身に現れてくる思いや考え、快・不快、全てに反応せずかまわず、とらわれず、ただ呼吸することに注力し続けます。
もし呼吸への注力以外のことに心がさ迷ったら、すぐに呼吸への注力に戻ります。
目的・効果
集中の瞑想・サマタ瞑想は、瞑想をしているとき、現れる思考や記憶、感情、心の状態、感覚への反応やその現われ自体を止め、心を静める、リラックスする、集中を高めることができます。
しっかりとできれば心は清浄な状態となり心清浄になります。
脳のDMNの活動や自動操縦を減少・停止させて脳を休めることもできます。
スポーツ選手などが活動に没頭しているような状態を「ゾーンに入る」と言いますが、サマタ瞑想は「今ここに集中」し、それが高くなるとゾーンのような状態にもなります。
そういう状態や「禅定(ぜんじょう)」という深い集中の状態にも達することができます。
日常生活で生活の技術のように活用して、必要な時に、心を静める、リラックスする、集中を高めることができ、そういう人として暮らせるようにもなれます。
脳のエグゼクティブ・ネットワークという回路が活性化するという科学的な報告があります。
このネットワークは、集中力、記憶力、意思決定といった認知機能をつかさどっていますので、サマタ瞑想をするとこれらの認知機能が高く働き、瞑想直後にその効果を活かせます。
サマタ瞑想を特別に時間をつくって取組むこと、日常の中で活かすことで、脳のDMNの活動、自動操縦を減少・停止させて脳を休めることが繰り返され、それによって脳の部位・構造、記憶・回路の変化も起きてきます。
天台小止観に学ぶ
仏教の瞑想の古典的な名著『天台小止観(てんだいしょうしかん)』に、止はサマタ瞑想、観はヴィパッサナー瞑想としてこう書かれています。これも参考にサマタ瞑想を理解しましょう。
涅槃(さとり)の世界は、そこに入るためには種々のみちがあるけれども、そのなかでも最も効果的で肝要なものはなにかといえば、止と観の二法に勝るものはない。
なぜかといえば、止は、まよいへのとらわれをおさえつける第一歩であり、観は、まよいそのものを断ちきる力であるからである。
また、止は、人の心識(こころ)を愛養するためのよきたすけ、観はものごとの正しい理解を発(おこ)すための妙術である。止は、禅定を得るためのすぐれた因となり、観は正しい智慧を発するよりどころだからである。
もしこの禅定と智慧の二法をなしとければ、自分を利益し、他の人々のためにもなる生活態度がおのずからその人に身に備わって来ることになる。
参考:サマタの40の瞑想法
サマタ瞑想には40種類の方法があります。参考にそれぞれの詳細は省き紹介します。
ほとんど本格的な修行者がするもので、一般の人はその中のアーナパーナサティ、慈悲の瞑想に取組みます。この講座もそうなっています。
カシナ瞑想
カシナは円盤のことで10種類。白、黄、赤、茶の4種類。地、水、火、風の4種類。空間、光のカシナがあります。
参考に「こちら」のページで詳しく説明しています。
10種の随念の瞑想
- ブッダについて
- ダンマについて
- サンガについて
- 戒律について
- 布施について
- 天の神々について
- 涅槃について
- 食べ物を厭うことについて
- 死ぬことについて
- アーナパーナサティ
不浄観・アスバ瞑想
死体を見て瞑想します。10段階10種類あり、第1段階は亡くなったばかりの死体を見て瞑想、第2段階は数日経つごとに現れる色や匂いなどいろいろな変化を観て瞑想、それから白骨になるまで計10段階10種類あります。
四梵住(慈悲喜捨の瞑想)
慈悲の瞑想として1つに集約して取組むことがほとんどですが、悲の瞑想、慈の瞑想、喜の瞑想、捨の瞑想と分けて4種類でする方法があります。
無色界の瞑想
四無色禅で、空無辺処禅、識無辺処禅、無所有処禅、非想非非想処禅の4種類。
四界分別観
地・水・火・風に関する瞑想です。
三十二身分観想
三十二の体の部分に関する瞑想です。