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Q:お坊さんなのに、なぜ料金を取るのですか

A:疑問に思う方、納得がいかない気持ちになる方がいるのはもっともなことだと思います。信人も本来の仏道者とは今の日本の社会でどう生きることが良いのか思案し続けていて、今はこのようにしています。

 どうしても納得がいかない、決められている額は払いたくないという人は申し訳ありません。

 今の日本の仏教の一般の僧は、寺を自分と家族の代々の住まいにして、葬式などの法要や檀家からお金を得て、税金は優遇されて暮らしています。こうなったのは江戸、明治時代からです。檀家制度ができたのは江戸幕府によってですし、寺が世襲になったのは明治政府が僧侶の妻帯を認めるようになってからです。

 お釈迦さまの時代、仏教の僧は葬式法要には関わっていませんでした。

 信人は、お釈迦さま本来の仏道をできるだけ歩むことを志しています。お釈迦さまがしていたように、仏法を精進しつつ、人々の相談にのること、仏法・瞑想を広めることをして暮らしています。葬式法要等に関することもしていません。寺の住職になることも現在はしていません。

 托鉢のみで暮らすことが究極的な在り方だと思いますが、それは現代の日本では難しく、そして、日本人にはお布施の習慣が根づいていないため定額制ご寄付という考え方で料金制とさせていただいています。

Q:なぜお寺がないのですか

A:信人のようにお寺の子息ではない者がお寺の住職になるには、既存のお寺を継いでほしいと声がかかるか、お寺の住職の娘さんのお婿さんになるかです。信人の場合は、お寺を継いでほしいというお話をいただきました。

 信人は、そもそも僧侶になった動機に、お寺という場所を地域の人たちのための場所として、人々の助けとなりたいという考えがあったので、ずいぶんと悩みました。

 お寺を人々が孤立無援にならないようにつながりの場にしたい、経済的に塾に通ったり家庭教師をつけてもらうことが難しい子どもたちの寺子屋にしたい、子ども食堂にしたい、駆け込み寺にしたい等々の夢がありました。

 何日も何日も悩みました。曹洞宗の開祖の道元禅師が書いた書を読んだりもして考えに考えもしました。そして、お断りしました。

 第一に、当時、信人自身の心の中に、お寺を持つことに、意地汚い執着があると気づいて、そのことがとても心苦しく嫌でした。

 実は、僧侶になろうという人の中に、自分や家族の生活が困らないように、経済的に安定したいからという人がいます。修行僧堂でどうどうのそのために寺をもらうんだと口にして、修行の態度はいい加減な人を目の当たりにもしました。

 信人はその人の態度が嫌で嫌で怒りを感じたりしてしまっていたのですが、自分もその人と同じようにお寺がほしいという考えで修行してしまっている、お寺をもらうことに執着がある、同じだと気づいたのです。

 僧侶たちが、檀家が何人いれば年間収入がいくらになると皮算用するところも見て、反発を覚えながら、自分も同じではないかとも感じました。

 気づいたら、もう本当に自分が情けなくなりました。

 曹洞宗の道元禅師の、僧侶が檀家からの財をあてにするようになったらおしまいだという主旨の言葉も見つけました。

 お寺をいただければ住むところにも活動の場にも困らず、経済的にも目安がたちます。お寺を持たずにどのように僧侶として生きていけるのか、先はまったくわかりません。でも、このようなことがあってお断りしました。

 そして、お釈迦さま本来の仏道をもっと究めたいとミャンマーまで行ったりもして、まずインターネット、電話、メールを活用した活動からはじめようとこのサイト「瑞雲」やブログを開設しました。

 お寺をいただけるお話はめったにないことで、それをお断りしましたので、近い将来、悩み苦しんでいる人が相談に来れる、泊まれて瞑想の学びや練習もできるなど、そういう場所を開設しようと考えています。

 どうぞよろしくお願いします。