マインドフルネス瞑想と坐禅の違い 両方の修行者が説く真実

私は禅僧で、マインドフルネス瞑想の根本の瞑想もミャンマーで修行しました。

そういう私からすると、日本でマインドフルネス瞑想が坐禅と同じようなやり方で説明されていると疑問を持ちます。

マインドフルネス瞑想は、坐禅とは違う、坐禅ではかなわないことがかないます。

どうして効果が違うのか。

違うやり方だからこそ、結果の効果が違う

やり方に違いがあるからです。

禅、坐禅のようにしていたら、マインドフルネス、マインドフルネス瞑想としての効果は100点中20点くらいまでしか得られません。

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マインドフルネスは瞑想法が2種類、坐禅は1種類

仏教の瞑想には集中の瞑想のサマタ瞑想と、気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想があり、それが元の現代的なマインドフルネス瞑想も2種類、気づきの瞑想と集中の瞑想があります。

仏教の気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想が元々のマインドフルネス瞑想で、集中の瞑想のサマタ瞑想がセットで取組むものになります。鳥の両翼のようなもので両方が必要です。

そして、坐る瞑想なら、集中の瞑想の坐る瞑想と気づきの瞑想の坐る瞑想があります。

いっぽう、禅の坐禅に2種類あるわけではありません。

修行では、曹洞宗のただ黙々と坐する黙照禅(もくしょうぜん)と、臨済宗の公案という師僧から出された問いにひたすら向き合う黙照禅(かんなぜん)がありますが

いずれにしても、気づきの瞑想と集中の瞑想という2種類があるわけではありません。

集中の瞑想のサマタ瞑想的な禅の坐禅

坐禅は気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想、集中の瞑想・サマタ瞑想という分け方にはあてはまらないものと言われますが、現在の禅の坐禅は集中の瞑想的なやり方が一般的です。

無心になるように言われたりしますが、昭和の高僧の澤木興道師は次のように説明なさっていました。

八万四千の雑念が起滅しても、起滅するに打ち任せて嫌わず追わず、鏡に影の映ると思い、一切を取り合わぬことが肝要である

これはどのようにすることか、この先が詳しくわかると良いのですが

一般的には坐禅をしていて思考や記憶や感情、感覚が現れてきても、とりあうことなく、かかわることなく、坐禅していることに集中し続けます。

たとえば、坐禅のやり方で数息観(すそくかん)という数を数えながらする方法も当然のように教えられていますが、数息観はサマタ瞑想のやり方の一つです。

集中の瞑想・サマタ瞑想的な禅の坐禅では足りない

先ほど申し上げたように、マインドフルネスの瞑想は気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想と集中の瞑想・サマタ瞑想が両翼です。

坐禅は2種類があるわけではないので翼としては一つですし、サマタ瞑想的な禅の坐禅をしているとマインドフルネスのメインの気づきの瞑想をしていることにはなりません。

ですから、坐禅をしてもマインドフルネスのような効果は得られませんし。坐禅のようにマインドフルネス瞑想をしていたら、片手落ち以上に不足になります。

マインドフルネスの瞑想と坐禅のやり方の違い

マインドフルネスの瞑想の集中の瞑想・サマタ瞑想は坐禅と似たやり方ですが、メインの気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想はやり方が違います。

しかし、集中の瞑想と気づきの瞑想の区別もなく、坐禅のやり方でマインドフルネス瞑想を教えている人がけっこういます。

たとえば、次のような違いがあります。

マインドフルネスの気づきの瞑想は集中できなくてもいい

瞑想は集中するものと思っている人が多いですが

禅の坐禅やサマタ瞑想は、している最中に思考や感情・感覚が現れても、それに関わらず、集中をしている対象やことに集中していくようにします。集中を重視します。

いっぽう、マインドフルネスの瞑想の気づきの瞑想は、思考や感情や感覚が現れたら、現れた瞬間に、それに気づことを繰り返す取組みです。

集中できないときは集中できない、気が散っているときは散っている、瞑想をやめたい気持ちが現れたら、それにもそのまま気づく、そんなふうにありのまま気づくようにします。

マインドフルネス瞑想は調身、調息、調心しなくてもいい

坐禅は「調身、調息、調心」、正身端座(しょうしんたんざ)という姿勢を第一に重視します。姿勢を整え息が調い心が調う。瞑想中も調身の状態をキープするようにします。

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マインドフルネス瞑想もそういうものと教えているのを見かけますが違います。

気づきの瞑想は、坐禅のような結跏趺坐や半跏趺坐という足の組み方も、法界定印という手の形もしないほうがいい。

良い姿勢はできるほうが良いです。ですから、弊社の瞑想・マインドフルネス習得プログラムでも、はじめにそのような姿勢をできるようにします。

でも、気づきの瞑想は正身端坐ほどに厳格な姿勢はせず、瞑想中は姿勢にこだわりません。姿勢がくずれてきたなら、くずれてきたそのままをありまま気づくようにします。

息も同じです。心についても同じです。乱れてきたら乱れているとありのまま気づくようにします。

そうして、瞬間瞬間の心と体の現象にありのまま気づくことを繰り返していくことで、今この瞬間この瞬間の集中の力と習性、ありのまま気づく力と習性がついて

今この瞬間この瞬間をありのまま気づいているマインドフルネスな人になれます。

実はマインドフルネスは「今ここに集中」ではない

また、マインドフルネスを教えている場などで「今ここに集中」というフレーズがよく使われていますが、これもそうしているとマインドフルネスの本当の効果は遠のきます。

なぜなら、マインドフルネスは「気づき」、「今この瞬間この瞬間に気づいていること」です。「今ここ」よりも短い時間について気づいていることです。

集中の種類が違う

今ここに集中は禅的なあり方で、今していることを一所懸命に集中してするような意味で強い集中状態になります。坐禅や集中の瞑想・サマタ瞑想は禅定と言われる状態になります。

いっぽう、マインドフルネスの気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想は、瞬間瞬間の自分の内・外に対して自分に現れる心と体の現象に気づく、集中は瞬間への集中になります。

「今ここに集中」の集中の瞑想・サマタ瞑想は気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想をスムーズに効果的な取組みにしてくれます。

でも、マインドフルネス、マインドフルネス瞑想は「今この瞬間この瞬間に気づく」です。

身心一如と名色分離智の違い

坐禅は「身心一如」、取組んでいって、心と体は引き離すことのできない、身体と精神は一体であって分けることはできず、一つのものの両面にすぎないということに到達します。

そして、禅は日ごろも、心と体を一つにして在るように、心と行いを一つにするように努めます。

いっほう、マインドフルネス瞑想の気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想に取組んでいって、現れるのは「名色分離智(みょうしきぶんりち)」という洞察智です。

この名色分離智が最初の智慧として現れて得られて、しだいに10以上の智慧が現れて得られて行きますが、名色分離智は心と体を別ととらえられるようになります。

自分の心と体の現象の瞬間瞬間に気づく取組みを繰り返すことで、心と体は別であること、その関係を知るようになります。

まとめと追記

日本では、マインドフルネスやマインドフルネス瞑想が禅、坐禅のように言われ、方法や取組みも同じように教えられていることがあります。

そうしていると、マインドフルネス瞑想としては100点中20点どまり位になります。マインドフルネス、マインドフルネス瞑想として本当の効果は得られません。

2つにはここまでお話してきたように違いがあるからです。

2つの違いをよく理解した上で、両方に取組むと、両方を活かすことができます。

マインドフルネス瞑想の残念な現状に対して 

昨今のマインドフルネス瞑想の取組みは、土台や基礎もせずに安易に取組むので、本当の効果を得られていない人、瞑想難民にもなっている人が大勢います。

第一に、ストレス社会で生きてきて集中の力や心の安定度が低めなのに、気づきの瞑想にすぐに取組むことが問題です。

気づきの瞑想を無理なく効果的にできるための集中の力、心の安定が足りていない。

気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想を取組みはじめる前に、セットの両翼の集中の瞑想・サマタ瞑想にしっかり取組むことが大事です。

坐禅を基礎づくり、基礎トレーニングに活用する

そして、集中の瞑想の習得の前に坐禅を学び取組むと、坐る型の基本の習得、集中する経験、瞑想の習慣化ができて、集中の瞑想、気づきの瞑想の習得がスムーズになり、上達もしやすくなります。

つまり、坐禅を学び取組む → 集中の瞑想を学び取組む → 気づきの瞑想を学び取組む、という順番で習得することがマインドフルネスは最適です。

弊社・瑞雲のプログラムはそうなっています。参考に本格派コースのカリキュラムをご覧になってみてください。

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