慈悲の瞑想は「私」が主語の文が一番重要はホント?

慈悲の瞑想は心の中や声に出して文を唱えますが、インターネットなどで様々な情報があり、文の中で「私」を主語にする文が重要で、それが基礎とされている情報があります。

そして「私」を主語にする文章を第一にできるようにならないといけないとも説明しているケースもあります。

悩んでしまっている人がいる

このサイトを利用してくださった人から問い合わせがありました。

それでこの記事を書くことににしたのですが、「私」を主語にする文には抵抗感を感じて、まずこれができないとダメだと思うと難しい…と悩んでおられました。

弊社・瑞雲の講座の受講者にもそういう人はおられます。普通のことです。

元から考えるとそんな必要はない

慈悲の瞑想は、スリランカやミャンマーなどのテーラワーダ仏教・上座部仏教が守り実践してきた仏教の瞑想の1つです。

次の関連記事の慈悲の瞑想のやり方で文章を2種類紹介しましたが、そのうち1種類には主語が複数あり「私」を主語とする文があります。しかし、もう1つは主語は1つでそれは「私」ではありません。

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私が、マインドフルネス瞑想の根本のヴィパッサナー瞑想を習ったときに習った慈悲の瞑想も、主語は1種類で「私」が主語ではありませんでした。

つまり、本場では「私」を主語にすることは必須ではありません。

慈悲の瞑想の元から考えても違う

慈悲の瞑想には「慈経」という元があります。

慈経から考えても「私」を主語にした慈悲の文を読まなければならないということにはなりません。

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心理学からの発想?

慈悲の瞑想の文で「私」が主語の文が基礎、最重要と言っているのは、「自分を愛せない者は人を愛することはできない」とか、心理学で自己肯定感が基盤であるということからの判断ではないでしょうか。

仏教の瞑想であること、本場の実際とは関係のない発想でそう説明しているのではないでしょうか。

核は「生きとし生けるもの」

慈悲の瞑想の核は「生きとし生けるもの」の主語の文です。

上記の関連記事で、慈悲の瞑想の元「慈経」を見ていただいても、「生きとし生けるもの」という言葉が出てきます。

取組み方の工夫をすればいい

「私」を主語にする文もある文章を唱えたい場合は、「私」以外の主語からはじめればよいのですし、抵抗感を感じるときの取組み方もあります。瑞雲の講座はそうなっています。

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