瑞雲信人のプロフィール(瞑想関係)

瑞雲信人(ずいうんしんじん)です。よろしくお願いいたします。瑞雲庵のマインドフルネス瞑想の講座を開発して、フォロー指導を担当しているのは私です。

私は、マインドフルネスの瞑想の根本の禅、サマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想すべてをしっかり修行やトレーニングをして高い効果も得て、マインドフルネス瞑想をしたり、教えているマインドフルネス瞑想家です。

紆余曲折の一般社会の経験をしたのちに、全国1万4千の寺院のある曹洞宗の元トップ、元管長の板橋興宗禅師に認められ僧侶になる得度を受け、禅師様の元で僧堂修行をしました。

曹洞宗の元管長・板橋興宗禅師 私を得度してくださいました

板橋興宗禅師

そして、お釈迦様本来の仏教をもっと学んでいきたいと考えるようになり、当時、寺院の住職を継ぐありがたいお話をいただきましたがお断りして、ブッダの瞑想法のヴィパッサナー瞑想の習得をすることにしました。

この時は、まだマインドフルネス瞑想のことは知りませんでしたが、ヴィパッサナー瞑想をするようになって、ヴィパッサナー瞑想がマインドフルネスの瞑想と呼ばれていて知りました。

マインドフルネスは、もともと仏教の正念(しょうねん)のことで、その瞑想法がヴィパッサナー瞑想です。

ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想を習得

はじめは日本で、ゴエンカ式という在家(一般の人)用に構築されたサマタ瞑想とヴィバッサナー瞑想を10泊12日の合宿で学びました。

同じ合宿に参加している人の多くは、長い時間じっと坐っていられない、集中の瞑想の段階でなかなかできずにいましたが、私は禅僧として坐禅を修行して、長い時間じっと坐っていることも集中もできましたから、すぐにマスターして、その合宿中にも高い効果が現れました。

そして、合宿後も取組みを続けていて、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の効果をますます確信して、より本格的で広い瞑想法のある、僧侶が修行でも取組む、テーラワーダ仏教のマハーシ式を習得したいと考えるようになりました。

しかし、日本でマハーシ式を教えているテーラワーダ仏教の国の僧侶もいるけれど、数時間や1日や3日ほどの会しかなく、それではきちんと習得することができない…

ミャンマーへヴィパッサナー瞑想の本格的トレーニングに

私は禅僧として修行をした者ですから、瞑想をしっかりきちんとマスターする場合には、少なくとも2ヵ月はこもってトレーニングする必要があると知っていました。そこで本場のミャンマーに3カ月間行くことにしました。

マハーシ式は、ミャンマーの高僧、マハーシ・サヤドーが、ヴィバッサナー瞑想の根本経典の大念処経から見い出した瞑想法ですので、ミャンマーが本場で、私はマハーシ・サヤドーの直系の高弟のチャンミェ・サヤドーの瞑想センターに行きました。

マハーシ式のヴィパッサナー瞑想の習得

私はミャンマーで予想以上の体験と変化をすることになりました。

ミャンマーでトレーニングをはじめて7日目に、左の首から肩、腕にナイフでえぐられるような激痛が現れるようになりました。

本場の修行では痛みは瞑想の最高の友と言われ、本格的な本場のヴィパッサナー瞑想では瞑想の力がかなり高くなって激痛が現れる段階があります。私は禅で集中の力が相当についていて、ゴエンカ式で気づきの練習もできたことで、一気に瞑想の力の段階が高くなりそうなったようです。

そして、その日から3週間、激痛の瞬間瞬間に気づき続けることに取組み、そのことで、いっそう瞑想の力が高くなり、ヴィパッサナーの洞察による智慧の階段をのぼれることになりました。

4週目には激痛と感じなくもなりました。痛みを痛みとは感じず、ただ現象として観ている、苦しみを苦しむのではなく観ていられる人になりました。マインドフルネスの高い状態です。

サヤドーに、「それは無我の境地にいた」と言われる状態も経験し、「あなたはロケットが地球を何周かして宇宙に飛び出すように進歩するだろう」と言われました。

そして、ある日、見ている、聞いている、感じていることをプロセスとして認識するようになり、今この瞬間・今この瞬間のありのまま・あるがままを見る、聞く、感じる、心を観る状態に、いつも自然となっているようになりました。

物や出来事、人、自分自身にも思考や感情を巻き込まれることがなく、常に気づいている。私は常にマインドフルネスな状態でいる人に変わりました。

常に自分の思考や感情、心の状態、感覚に気づき、対処・コントロールもできて、安心、平穏さで日々生きられるようになりました。

ストレスや葛藤の多い日本に帰ってきて暮らしていても、今もそれはずっと変わらず、怒りや不安などのネガティブな感情が現れることがほぼなく、たとえ現れてもまったく平静でいられて心が不安定になることはありません。

これは自慢ではなく、ヴィパッサナー瞑想とはそういう効果のあるものです。ヴィパッサナー瞑想のやり方の要素がきちんと入った現代のマインドフルネスの瞑想もそうです。

帰国すると、マインドフルネス瞑想の流行が

ミャンマーで出家するお話もありましたが、板橋禅師の得度を受けている身であることからお断りして帰国しました。

帰国すると、マインドフルネス瞑想が流行するようになっていました。そして、現代版のマインドフルネス瞑想も、禅やサマタ瞑想、ヴィバッサナー瞑想が元だと知りました。

流行の元のアメリカのジョン・カバットジン教授のマインドフルネスストレス低減法の本やCDを買って、読んだり聞いてみると、確かに集中の禅やサマタ瞑想、気づきのヴィパッサナー瞑想のやり方が流用されて入っています。なるほどと思いました。

私自身も、禅、サマタ、ヴィパッサナー瞑想と修行やトレーニングをして、大きな変化をして、ストレスにまきこまれず、葛藤を起こさず、平穏に生きられる人間になりましたから、良いことだなぁと思いました。

そして、カバットジン教授が、私と同じく、禅を修行して、テーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想をトレーニングして、そこからマインドフルネスストレス低減法をつくったことを知り嬉しくもなりました。

しかし、流行が進んでくると、どうも様子が変わってきました。

マインドフルネス、マインドフルネス瞑想の乱れ

禅やサマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想の要素のまったくないもの、マインドフルネス瞑想とは本当は関係のないものがマインドフルネス瞑想と言われるようにもなってきました。

やり方がどんどん変えられて、元とはとても遠いやり方をするケースも増えてきました。1日や数日の研修などで学んで人に教える人も増えてきました。そうして、瞑想難民という言葉まで見聞きするようになってきました。

日本のマインドフルネス瞑想の状況を危ぐして講座を開発

本来のマインドフルネスの瞑想のやり方と、人として根本的に変わることも可能な素晴らしい効果を体験し享受している私は、こういう状況を日に日に残念に思う気持ちが高まっていきました。そして講座をつくることにしました。

それも、ストレスを抱え、悩むことになっている人の多くは、幾日間もの期間の合宿はむろん、一日でも都合をつけることがなかなか難しい…だから、自宅などで、できた時間で十分に学べて、しっかりマスターできる仕組みにしようと思いました。

たとえば、カバットジン教授の方法は、8週間毎週1回通って習って、毎日自宅で45分実践する必要があります。それは多くの人には無理ではないでしょうか。

マインドフルネス瞑想は、人が救われ、安心・幸せに生きられるようになれるものですから、より多くの人にできるようになってほしい…

誰もが良質のマインドフルネス瞑想をマスターできるように

ミャンマーの瞑想センターのトレーニングは、やり方を習い、それを実践するのはそれぞれ、そして週に3回のサヤドーからのインタビューがあってチェックを受けて、レベルを上げて、またそれぞれに実践…と繰り返していきます。

これと同じようなことを、社会生活をしながらできるようになる仕組みをインターネットを使って作ろうと考えました。そして、できたのが瑞雲庵のマインドフルネス瞑想マスター講座です。

いつでもどこでも、しっかりとしたマインドフルネス瞑想を学べて、サポート、フォロー指導も十分に受けることができる講座にできました。

正しくマインドフルネス瞑想をマスターできる2つのコースを

はじめは、現代のマインドフルネス瞑想の根本で、私がマスターしてきたテーラワーダ仏教系のサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想を、ミャンマーなどでトレーニングするのと同様にを学べてマスターできるコースをつくりました。

瞑想に関する様々な知識、深い知識までも得られるようにしました。おかげさまで多くの人に喜んでいただいてきています。

そして次に、現代の様々なマインドフルネス瞑想を精査して整理し、しっかりと明解に取組めて、効果も高く得られる形の瞑想法を、より継続的な学びと実践ができるような工夫したコースをつくりました。

良質なものには、やはりサマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想のやり方が共通してあり、私がマスターしたそれらのやり方を元にもしました。

社会生活をしながらということをより考慮して、日常生活でできる瞑想の訓練やマインドフルネス瞑想をすぐに日常生活に活かす方法を重視しました。

こちらも、おかげさまで多くの人に喜んでいただいています。

あなたがもし、マインドフルネス瞑想をできるようになりたい、そして、より良い人生を生きていかれるようになりたいと願っておられたら、ぜひ、瑞雲のマインドフルネス瞑想マスター講座の受講をご検討ください。

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました