自灯明法灯明~自分を信じることが生きる灯になる:仏教の言葉01

人生には、進む道に迷いが生じるときがあります。仕事のこと、人間関係のこと、自分自身のあり方…、あらゆる場面で「本当にこれでいいのか」と不安になってしまう…。
何かを決めなければいけないのに、自分の中に確信が持てない。誰かの意見に頼りすぎて、あとから後悔してしまう。自分という存在があいまいになって、見失いそうになる…。
私たちは「何をよりどころに生きればいいのか」。その問いに、ブッダは弟子に答え、仏教は2500年前から伝えてきました。
それが「自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)」という言葉です。
「自灯明・法灯明」とは?
この言葉は、ブッダが入滅(亡くなる)される直前、愛弟子アーナンダに語ったとされる、まさに最後の教えのひとつです。
汝ら、まさに自らを灯明とし、自らを拠り所とし、他を拠り所とせざれ。
法を灯明とし、法を拠り所とし、他を拠り所とせざれ。
『大般涅槃経』
訳すと、こうなります。
あなたたちは、自分自身を灯火(ともしび)とし、
自分自身をよりどころとしなさい。
他人をよりどころにしてはならない。
智慧の真理を灯火とし、よりどころとしなさい。
他のものを頼りにしてはいけない。
とても力強い言葉です。同時に、あたたかい響きも感じられます。
なぜ、ブッダはこの言葉を遺したのか?
ブッダがこの言葉を伝えたとき、弟子たちは深い悲しみに包まれていました。師がまもなく亡くなるという現実を前に彼らは動揺していました。
「これから私たちはどうすればいいのですか」
「もう、誰に導いてもらえばよいのでしょうか」
そんな問いに対し、ブッダはこう言ったのです。
あなた自身が、自分を照らす光になるのだ
「そして、仏法という教えを頼りに進みなさい」。ブッダが覚り弟子たちに説いてきた覚りの智慧の教理の数々を頼りに。
それは弟子たちへの励ましであると同時に、私たちすべての人に向けられた生きる智慧でもあります。
自灯明 ― 自分の中にある光を信じる
自灯明の「灯明」とは、「ともしび」「あかり」のことです。つまり、「自分を灯明とせよ」とは、「自分自身を光として生きよ」という教えです。
私たちは日常で、しばしば「外の光」を探してしまいます。
- 誰かの言葉に頼りたい
- 周囲の評価で自分の価値を測りたい
- 正解を、ネットや本の中に見つけようとしたい
でも、そうやって外ばかりを見ていると、いつしか「自分」の考えや気持ちがわからなくなってしまいます。
「これは自分が本当に望んでいることなのか?」
「誰かに言われたから、ただそうしているだけではないのか?」
自灯明は、そんなときに思い出したい言葉です。
「自分の中にある、確かな光を信じなさい」
「誰のものでもない“あなた自身の人生”を、あなたの足で歩きなさい」
たとえ、その灯がかすかでも構わないのです。それはあなたが、これまでの人生で育んできた、一つのあかりです。
法灯明 ― 智慧の真理を道しるべとする
とはいえ、自分を頼るといっても、私たちは完璧ではありません。感情に左右され、判断を誤ることもあります。過去の傷にとらわれて、大切なことを見失ってしまうこともある。
だからこそ、ブッダは「法灯明」とも言いました。ブッダが覚り説いてきた「法(ダルマ)=真理を灯明としなさい」と。
仏教は、けして宗教的な信仰だけを目的としたものではありません。苦しみから抜け出すための「心の地図」であり、「生きるための智慧」です。
特にブッダは、現実の世界を苦しみから解放されて、平安に福楽に生きられる人となるための真理を覚り、説いておられました。
- 「諸行無常」― すべてのものは移り変わる
- 「縁起」― あらゆることはつながりの中にある
- 「中道」― 極端に走らず、バランスの道を歩む
- 「四諦」― 人生の苦しみとその原因・解決法
- 「八正道」― 正しい見方、正しい行い、正しい生き方…
こうした教えは、私たちが自分の内面に迷ったとき、他人の声に心を乱されたとき、もう一度立ち返る「道しるべ」となってくれます。
自灯明と法灯明 ― 二つがそろって正しく歩み出せる
ここで大切なのは、「自灯明」と「法灯明」は、どちらか一方だけでは不十分だということです。
- 自分を信じすぎると、独善になったり、傲慢になったりする。
- 真理に心が偏りすぎると型にはまってしまって、人への寛容さを失ったり自分の声を失ってしまう。
ですから、「自分の灯」と「真理の灯」、このふたつを携えて歩くことが大切です。
ちょうど旅人が夜道を行くときに、手にした灯火で足元を照らし地図を見て方向を確認するように…
- 灯火(自分の心)がなければ、一歩も踏み出せない
- 地図(真理)がなければ、どこへ向かえばいいかわからない
両方があって、私たちは安心して人生という旅を歩んでいけます。
あなた自身が、あなたを照らす光に
「自灯明・法灯明」という言葉は、外の声に惑わされ、自分を見失いそうになったとき、「自分の中に帰ってくる」ための合図でもあります。
- 自分は、どんな人生を望んでいるのか?
- 今、何を大切にしたいのか?
- この選択は、自分の本心に正直だろうか?
迷ってもいい。間違ってもいい。他人の人生ではなく、自分の人生を歩く勇気を持つ。そう、自灯明は諭してくれます。
そして仏の教えに立ち返ってみる。そこには何千年も変わらずに灯り続けている智慧の炎があります。
さいごに ― 灯火は、誰の中にもある
あなたの中にも、間違えなく光があります。それは、あなたがこれまで、悩み、迷いながらも、今日まで生きてきた力のものです。
他人の光はまぶしく見えるかもしれません。でも、あなたの灯火は、あなただけの色やぬくもり、特長、力をもっています。
どうかその光を消さずに、たとえ風に揺れても、雨に濡れても守りながら、今ここ、今ここ、今日一日を大切にと生きてみてください。
そして、灯を確かにするために、仏の教えという灯台に照らしてもらえばいいのです。
そうしていけば、あなたの中の灯の光は、どんどん真っ直ぐに輝きを増していくことでしょう。
「自らを灯明とし、法を灯明とせよ」
合掌