運営者のプロフィールや思い

瑞雲の森信仁(もりしんじん)です。自分を変えたい人生を良くしたいと願っているいる人のために、このページでは私のことをお話しします。変わりたいと悩んでいる人には、特にきっと役立つはずです。

私は、カウンセラー、コーチングコーチ、レイキヒーラー、瞑想指導者、元禅僧、ホリスティックライフコーチとして、これまで1万人以上の方々の「癒しと変容」に寄り添ってきました。

でも、最初から専門家だったのではありません。

むしろ、人生のどん底からの再出発こそが、今の私の原点です。

私は、変えたい変わりたいと悩み苦しみ続けていた一人でした

子どもの頃から、親との関係も複雑で人との関係が難しく、常に不安と自己否定をぬぐえずにいました。

過敏性腸症候群やパニック障害にも悩まされ、いつも変わりたい変わりたいと願っていました。

自己啓発の本を何冊も読みました。セミナーにも出ました。でも変わることはできずにいました。

ついに、うつ病になって破産、どん底の暮らしに

2度目の結婚が破綻して、妻からの長年の精神的DVに耐え続けていた私は、3歳の娘と2人の暮らしになって鬱病を発症しました。仕事も失って破産しました。

ここで一言申し上げたいのは、人生で苦しい状況に繰り返しなっているとしたら知っておいてほしいことです。

それは、私が2度の結婚で2人の奥さんから裏切りやDVにあったのは、2人のせいというより、私自身が深層意識に持つようになっていた「人生脚本」が問題だったということです。

私がそのように自分の立場がなる人生の脚本を持っていた。人生脚本を変えないと、同じような立場になることが人生で繰り返されていきます。

幼い娘とふたり、毎日の食事にも困るような暮らしになりました。心療内科やカウンセリングに通うお金はありませんでした。

近所のお寺に1日に幾度も足を運び「助けてください」と幾度も祈りました。そして、境内のベンチでじっと固まって、不安、怖さに押しつぶされそうな思いを耐えていました。

変化の始まりは「本気で変わる、変わることをする」の決意から

そんなある日、ベンチでうつむいていた私の手を、娘が「パパ、あそぼ! パパ、あそぼ!」と言いながらぐいぐい引っばりました。

頭を上げると、娘の一生懸命な顔がありました。娘の顔を見て、大粒の涙があふれてきました。私は自分を押さえつけている力を振り切るように立ち上がり、「よーし」と娘を肩車しました。

大泣きしながら、「わっしょい、わっしょい」と境内を歩き回りました。肩の上から娘の嬉しそうな笑い声が聞こえてきました。娘の温かなぬくもりが伝わってきました。

疲れて立ち止まると、桜の木がつぼみをつけていました。

桜の花が咲く、娘とそれを毎日見よう、これから毎年見たい。

私は「本気で変わる、変わることに取り組む」と決意しました。変わりたいという思いや考え方だけでなく、変わることをすると決意しました。そう決意した時から、私の人生は着実に前に動き出しました。

実は、変わることを先延ばしにしていませんか?

私はしていました。変わりたい変わりたいと思いながら、具体的に変わることをし続けるのではなくて、自分や人や環境などを責めることや、本などに考え方などを求めることに時間を費やしていました。

多くの人は「そうしているのは別に逃避したいからではない」ときっと思うことでしょう。私もそう思っていました。でも無意識のうちに、人はそうして現実的に変化し始めることを避けもするのです。

例えば、ピアノも弾かないと弾けるようにはなれません

ピアノを弾けるようになりたいと、ただ思っていても弾けるようにはなれません。ピアノとは何かやピアノの弾き方の本をいくら読んでも聞いても、それだけでは弾けるようにはなれません。

自分も人生も同じです。

変えたい変わりたいとただ思っていても、自分とは何か人生とは何か、どう変えたらよいのか良くなれるかなどの本やセミナーなどにいくらふれても、実際的には変われない良くなれない。

変化の扉のカギは、変化の「手段」を日々繰り返すことです

たくさん願った。変われなかった。考え方の多くの本を読みセミナーに出た。変われなかった。

そして、鬱病や財政的にそういうことは無理ということもあって、私の場合は、そうではない次の2種類のことを繰り返しはじめました。

毎日、ただ単純にこの2種類をしました。すると心の状態、毎日がしだいに変わってくるのを感じました。

セルフカウンセリングを繰り返す

1つは、以前に読んだことのあった本から思いついた取組みでした。後で、それはカウンセリングの考え方に合っていたことだと知りました。

私は偶然、心の状態が変わるセルフカウンセリングの取組みを考えついて繰り返すようになりました。カウンセリングや心療内科には行かず、私は自分でカウンセリングの手段を毎日するようになったのです。

はじめはただに日常の振る舞いや行動の手段で心を軽く明るくし、しだいに簡単にできる自己肯定感を高められる手段などを加えていきました。

そうしたことで、心の状態はネガティブからポジティブなエネルギー状態に変わっていきました。

セルフヒーリングを繰り返す

もう1つは、離婚する前にできるようになっていた「レイキ」というヒーリングのセルフヒーリングを、1日に幾度もするようになりました。

レイキは、誰でもすぐできるようになれて、生命エネルギーの気を整え高められて、心身や人間関係、メンタルや環境、人生や霊性の癒しや好転や向上が起きます。

そして、心の状態が変わると、人生が変化・好転し始める

ある日、1本の電話が来ました。「研修の講師をしてほしい」と。講師経験ゼロの私に突然。

私はするすると、電話から1週間後に講師になれていました。受講者から拍手喝采もあびて。講師料は1日すると4万円から8万円でした。そうして、生活のめどが立つようにもなりました。

これは偶然ではなく心の状態が変わったからです。今ではそれがわかります。心のエネルギー状態がプラスになり、心が整い浄化もされてきて、引き寄せの法則がプラスに自然に働いたんです。

心の状態をまず「手段」でプラスにしましょう

鬱病もしばらくすると消えていきました。

考え方も大事です。でもまず具体的な「手段」で、心のエネルギー状態を変えることが効果的。考え方を変えるのは、それからでも十分です。また「手段」はずっと一生使えて役立ちます。

私は研修の講師の仕事と、レイキヒーリングを教える(伝授する)ことも仕事にするようになりました。

もう2度と鬱病にはなりたくない、どん底のようにはなりたくない・なるわけにはいかない、もっともっと変わりたい良くなりたいと思って、心理学、カウセリングを正式に学び始めました。

人の癒しと変容をサポートするプロの道へ

そして、かつての自分のように悩み苦しんでいる人の役に立ちたいと考えるようになりました。

まず、資格を取得してカウンセラーになり、プロの支援者としての道を歩み始めました。次に、学んで資格を取りコーチングのコーチになりました。なぜ、両方にしたのか?

カウンセラーでコーチングコーチであることのメリット

カウンセリングは将来は扱えず、過去からの自分を理解して、現在の自分を癒し変えます。コーチングは過去は扱えず、将来の目標達成や在り方を目指して現在を改善します。

両方ができると、必要に合わせ過去、将来を扱って、癒し・変容を起こして良くなれるサポートができます。

セルフヘルプの「手段」を持ってもらうことを大切にしてきました

私自身が助かり変われた経験から、そうしました。カウンセリングではセルフカウンセリングのプログラムをつくって渡すように、コーチングではセルフコーチングを教えるようにしました。

すると、普通のカウンセラーや心療内科、コーチと違うと喜ばれ、変われる良くなれると、とても喜ばれるようになりました。

セルフカウンセリングやセルフコーチングができると、カウンセリングやコーチングを受けている時以外も、自分でカウンセリングやコーチングができて、変われる良くなれる可能性が広がるからです。

ホリスティックな「手段」のプログラムも開始

研修の講師にならせてくださった人が「ホリスティック医学協会」の理事をなさっていたこともあって、人を部分でなく全体性で考えて良くなることを支援するホリスティックが大切だと考えるようになりました。

脳科学や量子力学、引き寄せの法則やスピリチュアルなどについても深め、カウンセリングとコーチング、そしてレイキとそれらを統合したプログラムも開始しました。

さらに「手段」のため、瞑想の探究を始めました

心理学などの分野で注目されるようになってきたこと、また、引き寄せの法則の著名な書籍には必ず瞑想のことが出てくることから、アメリカで開発されたマインドフルネス瞑想に取組みはじめました。

それなりの効果はありましたが、でも、これでは足りない。

本質的に変われることを求めている私自身としても、私のカウンセリングやコーチングを受けに来られる方々の悩みの解決にとっても、これでは足りないと感じるようになりました。

調べると、アメリカで開発されたマインドフルネス瞑想は、仏教の禅の坐禅とミャンマーなどの上座部仏教のヴィパッサナー瞑想を特定の目的・ストレス緩和用に加工したものだとわかりました。

人としてより良く生きるための本質的な手段・力を持て、本質的な変容までかなえられる元のものを、特定のためのものにしたものでした。

本質的な力と変容の「手段」を求めて仏門へ

そうわかった同じ頃、偶然に参加した禅寺の法話会で、仏教とは「人が苦しむことから解放されて福楽に生きられる人になるためのもの」、そのための理論や具体的な方法だとも知りました。

その理論と方法を求めて、またマインドフルネス瞑想の原点の瞑想法を求めて、私は、一度すべての仕事をストップして、禅僧になって修行しようと決意しました。

日本有数の高僧の禅師様の元で、禅僧になり修行しました

曹洞宗の元管長、トップであられた板橋興宗(いたばしこうしゅう)禅師と有難いご縁があり、禅師様の得度で僧となり、禅師様と専門僧堂で暮らして修行しました。

毎朝4時半からの早朝の坐禅、読経に始まり、食事の用意、掃除、草引きなどの作務をして、夜の坐禅で終わる厳しい日々の繰り返し。私のエゴは徐々にはがれていきました。

出家得度式の後、板橋禅師と私

ある寺院から跡継ぎにという有難いお話をいただきました。でも、お断りしました。

葬式仏教と言われる在り方に疑問を持っていたこと、生涯、草庵で暮らした良寛を尊敬していること、マインドフルネス瞑想の原点の上座部仏教のヴィパッサナー瞑想も身につけたいなどの理由からお断りしました。

そして、僧堂修行を終えると、日本で合宿に参加して習得して『ゴエンカ式』という簡易的なヴィパッサナー瞑想に取組むようになりました。

本場のミャンマーで、おおもとの本格的な瞑想修行をしました

もっと効果の高い、マインドフルネス瞑想のおおもとの総合的で本格的な『マハーシ式』のヴィパッサナー瞑想を学びたいと思うようになりました。

日本で上座部仏教の国の僧に学べるところにも出かけましたが満足できませんでした。そこで、マハーシ式の本場に行き修行することを決心して、ミャンマーへ行きました。

スマートホンは預け使えなくなり、外部の人だけなく、内部の人とも、週3回のサヤドー(長老)との個人面談と、必要な時に世話係の僧としか話してはいけない沈黙行の毎日。

朝4時の起床から夜9時の就寝まで、坐る瞑想、歩く瞑想と、自分のすべての動作に気づき続ける取組み。食事の時もトイレの時もシャワーを浴びている時も、ずっと細かく細かく自分に気づき続けました。

私は、就寝時間後も寝ずに瞑想を一人してもいましたが、ヴィパッサーナー瞑想は「気づきの瞑想」「智慧の洞察・悟りの瞑想」です。

貴重な手段と力がつき、人として本質的な変容も起きました

自分の心をコントロールする、浄化できる手段、自分に現れる思考や感覚・感情を常に客観的に気づき常に自分の心の主人でいる力・習性がつき、いつでも平穏、ゆるがない心でいられる人にいよいよなれました。

長老に「それは無我の境地にいた」と言われた状態なども体験すると、洞察による智慧の悟りが現れて、深い精神的変容も遂げることになりました。

マインドフルネス瞑想の原点のヴィパッサナー瞑想は、アメリカで加工されたマインドフルネス瞑想とまったくレベルの異なる効果・成果を得られるものでした。

帰国して、サポートを再開

ミャンマーからの帰国後、悩んでいる人が変われる良くなれるサポートを再び始めました。

それまでに追究してきたカウンセリング、コーチング、レイキヒーリング、脳科学、量子力学、引き寄せの法則、瞑想、仏教などをもとに、サポートの内容をレベルアップしました。

そして、バージョンアップし続けています。

あなたが、かつての私と同じように、私がサポートしてきた多くの方々と同じように、もし変わりたいと心から願っているのなら——あなたは新しい人生の扉の前に今、立っています。扉を開けましょう。

どうか一人で抱えこまないでください。私は、あなたの「変わりたい」に本気で寄り添います。